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ホテルは旧市街にあったので写真撮影に出かけるには、何も不自由がなかった。朝6時ぐらいに起床し、ホテルでバイキング方式のコンチネンタルブレックファーストを食べた。その後直ぐに撮影に出掛けた。
ホテルの窓から撮影したハバナは自分が思い描いた風景だった。
ホテルのベランダからの眺め
青い海、如何にもジョニーデップが出てきそうなカリブ海(菅野美穂が笑っていいともでそんなことを言ってたが・・・。)
ホテルを出たところにあるモニュメント
クラッシックカー(ヴィンテージカー)が到るところの止まっている。時代が止まったかの様な風景。
コーヒーでも売っているのであろうか・・・?
洗濯物をベランダに干しているが、様々な色彩があって美しい。
クラシックカーのオンパレード
これから、ヘミングウェイが行きつけのバー・フロリダータのあるオビスポ通りに出掛けた。
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旅:中南米
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「誰がために鐘が鳴る」「老人と海」といった著書でしられる文豪アーネスト・ヘミングウェイ※。
ハバナのオビスポ通りにあるフロリディータに足しげく通い、ハバナクラブのホワイトラムとグレープフルーツをミックスしたフローズンダイキリ(ラムをベースとしたカクテルのこと)「パパヘミングウェイ」を注文したと言う。
このフロリディータは、セントラル公園間近でロケーションも良く直ぐに分かる。
そこで、このフロリディータに入って見た。
店内はこんな感じで酷暑のハバナのなかでは、クーラーがガンガンに効いて別天地である。
カウンターはこんな感じ。
入店した人は皆「パパヘミングウェイ」を注文して飲んでいた。
※アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899年7月21日 - 1961年7月2日)は、アメリカの小説家・詩人。彼の生み出した。独特でシンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。ヘミングウェイは、ほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、1954年にノーベル文学賞を受賞するに至った。彼は、6つの短編集を含めて7冊の小説と2冊のノンフィクション小説を出版した。3冊の小説、4つの短編集、3冊のノンフィクション小説が死後、発表された。これらはアメリカ文学の古典として考えられている。(Wikiから転載)
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オビスポとは、スペイン語で青い鳥というのを意味するらしい。セントラル公園のベンチに座っているとキューバ人が教えてくれたのである。
セントラル公園には、ホセ・マルチェの像があり、ハバナ市民の憩いの公園である。
通常はこの様な像であるが、丁度私が行った時には次の様なな感じである。
オビスポ通りということで、「ようこそここへ、クッククック♪私の青い鳥♪」である。ところで、旅の途中が所属する職場でこんなことを議論したことが・・・。
桜田淳子は、秋田美人か?因みに、佐々木希は美人と言うことになりました。因みに。ご両人とも秋田出身だそうで・・・。
人民ペソでしか購入できないレストランLa luz。どうやら、この奥にカフェがあり、キューバ国民しか入れない感じ。
レストランは、人民ペソさえもっていれば購入できる。
因みに、旅の途中はこの手前のスーパーマーケットでサンドィッチを6ペソ、マンゴのスムーザーを5ペソで昼飯として購入。
合計10ペソ弱なので昼飯を50円で済ませた。
文豪ヘミングウェイの定宿 ホテルアンボス・ムンドス
そのロビーはこんな感じ。(因みに、クラブツーリズムのキューバツアーでヘミングウェイが宿泊したホテルに宿泊するツアーとかいうのを見たことがある。)
最後に、アルマス広場。
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この風景、何か懐かしい。四十数年前の筑豊のローカル線(室木線・香月線)なんかを思い出す。
しかしキューバにおいても、もうSLは走行していなかったし、当日は渓谷行きの列車は「うや(運休)」だった。
結局、SLを見かけることは無かった。
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この旧国会議事堂は、ホテルからほど近い場所にある。この旧国会議事堂は、1929年にアメリカの国会議事堂をモデルに建築された。
さて、ここからは革命博物館
革命博物館は、バチスタ政権時代は大統領官邸として使われた。
ゲバラとカミーロのゲリラ戦を再現している
フェデル・カストロ(現ラウル・カストロ国家評議員長の兄)
言わずと知れたチェ・ゲバラ
革命に使われた戦車
革命に使われた戦闘機
革命に使われたミサイル
左からバチスタ、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ、ジョージ・W・ブュシュの順番。
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