わたぼうし

物語・・・・・四国霊場百八ケ寺

四国三十六不動霊場

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略縁起・・・天長五年弘法大師の開創であります。大師は箸蔵山頂の不思議な端気に導かれ、ここに登られました。大師はここで金比羅大権現に巡り合われ、「箸を拳ぐる者、我誓ってこれを救わん」という「済世利民」のご神託を授けられたと伝えられています。神託を得られた弘法大師は自ら金比羅大権現のご神体を刻まれれご本尊とされ、七堂伽藍を建立せられて当山を開創されたのです。亦不動王は、本尊を守護する仏として本堂にお祀りされている木像立像と他に本殿広場にも海運厄除の石像立像並びに二童子と五大明王が祀られています。

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イメージ 2略縁起  そもそも当山は、弘仁年間弘法大師の開基にして讃州本山寺、阿讃境中蓮寺、密巌寺は三寺院共一種一様一我を以て一夜にして建立せられたと伝えられています。
当山不動明王は、全国的にも珍しい弘法大師の爪彫りの作として遠近の崇めを受け信仰のの霊山として今日に至っています。
また、大西城主の祈願所としても名高くとりわけ当山所蔵の大般若経は城主の寄進に依るものであり、貴重な文化財でもあります。


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イメージ 1 イメージ 2 其の昔、大同二年(807)邦治居士なる人この地に庵を結び、地蔵尊を詞る。弘仁六年(815)十月十五火未明明巡礼中の大師この庵を訪れ、当時この地に熱病流行し住民の苦しめるを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈願し、病を杖と共に土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿の芽出で成長す。住民この椿を大師お杖椿として進行しこの庵を椿堂と呼び当地の地名ともなる。


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第26番 仙龍寺

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嵯峨天皇の弘仁6年、弘法大師が四十二歳の時登山され、その当時この山に住んでおられた法道仙人よりこの山を譲り受け、金剛窟に瀧沢大権現と開運不動尊を勧請して、護摩壇を築き「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御誓願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をされました。その護摩修行満願の日に自らの姿を刻んで安置されたのがご本尊です。そのご本尊を「厄除大師」「虫除大師」として名高い、第65番三角寺の奥の院であり四国八十八ヶ所霊場の総奥の院ともなっています。

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第20番 光林寺

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開基
大宝元年(701)に文武天皇の勅を受けた徳蔵上人は奈良原山頂の蓮華寺と共に、光林寺をお開きになりました。圓識上人代、大同元年(806)唐より帰国途中の弘法大師は、奈良原山に登り終法をされ、光林寺に止住して密教を伝授された。これより光林寺は、法相、三輪兼布の寺から、密教弘通(真言宗)の寺になったと伝えられています。

二度にわたる回録の変で消失したが、永禄元年(1558)に河野伊代守四郎通直公のよって古きを尋ねて修復された。江戸時代になった、元禄十四年(1701)光林寺開山一千に当たり、今治城主松平駿河守定公によって本堂が再建され現在に至っております。客殿も1865年江戸時代に終焉間際に今治城主によって再建されたものです。

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