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新元号 4月1日午前11時半ごろ発表、首相も正午に会見 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190329-00000055-jnn-pol 「平成」に替わる新しい元号の発表まであと3日となりました。政府は、4月1日の午前11時半ごろに、官房長官が会見で新しい元号を発表することなど、当日の詳しい段取りを明らかにしました。 政府は29日朝、総理官邸で元号の選定手続きに関する検討会議を開き、4月1日に新しい元号を発表するまでの段取りを決めました。 まず、各界の有識者から新しい元号に関する意見を聞く有識者懇談会を総理官邸で午前9時半からおよそ40分開きます。次に、午前10時20分ごろから衆議院議長の公邸で衆参の正副議長から意見を聴取します。そして、再び総理官邸で全ての閣僚が出席する全閣僚会議を開いたあと、元号を改める政令を閣議決定し、午前11時半ごろに菅官房長官が新しい元号を発表します。 「新しい元号は平成であります」(小渕恵三官房長官〔当時〕) 平成に改元された際、当時の小渕官房長官は墨で「平成」と書かれた色紙を収めた額を掲げました。 「平成時の発表を参考にさせていただく」(菅義偉 官房長官) 今回の新しい元号の発表では、平成の前例を基本的に踏襲する方針ですが、異なる部分もあります。 「総理自身が直接、新元号を国民の皆さんに語りかける。その趣旨について説明する。極めて大事なことではないか」(菅義偉 官房長官) 平成への改元時には、官房長官が元号の発表と合わせて「総理大臣談話」を読み上げました。しかし、今回は菅長官による発表に続いて、安倍総理が自ら記者会見し、新しい元号に込められた意味などを説明する予定です。 総理官邸の会見室は、背景のカーテンの色を赤、紺、水色とその都度、変えることができます。ある政府関係者は、官房長官の会見が終わってからカーテンの色を入れ替えることも検討しているとしています。28日夜、記者会見室では報道陣をシャットアウトする形で発表のリハーサルが行われていました。 こうしたなか、安倍総理は29日午前、皇居を訪れ、天皇陛下に内奏を行いました。新元号の選定作業の進捗状況などについて報告したものとみられます。29日夜には、皇太子さまとも面会の予定で、同じような内容を伝えるものとみられます。 |
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2019年03月29日
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萩原健一さん死す “永遠の不良”早すぎる68歳「最期は穏やか」11年から闘病 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190329-00000001-dal-ent グループサウンズのザ・テンプターズのボーカリストとして活躍し、ドラマ「傷だらけの天使」「太陽にほえろ!」などで人気を博した俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが、26日に消化管間質腫瘍(GIST)のため、都内の病院で亡くなっていたことが28日、分かった。68歳だった。所属事務所が発表した。故人の遺志に従い、葬儀は家族のみで営まれ、遺体は27日に荼毘(だび)に付された。萩原さんは2011年から闘病していたが、このほど容体が急変。タレントの萩原リカこと理加夫人(56)にみとられ、息を引き取ったという。 アウトローな生き方と圧倒的な演技力で、“反逆のカリスマ”として人気を誇った萩原さんが、人知れぬ病との闘いに力尽きた。 11年は、理加夫人と自身4度目となる結婚をした年。「彼女と結婚して本当に人生が変わった」と明言していたが、皮肉にもその年から病魔との闘いが始まっていた。事務所関係者によると、萩原さんは同年に手術し、成功して退院。強い希望で闘病の事実と病名公表を控えながら、元気に過ごしていた。 だが、今月20日ごろに体調を崩し、都内の病院で診察を受けた。25日に再び来院するよう指示されたが、その当日に都内の自宅で倒れて救急搬送され、そのまま帰らぬ人となった。俳優としての最後の仕事は、昨年9〜10月放送のNHKドラマ「不惑のスクラム」。死の直前まで役者魂を燃やしていたという。 萩原さんは1967年、「ザ・テンプターズ」のボーカリストとして、16歳でデビュー。「ショーケン」の愛称でスターダムに乗った。“永遠の不良”と呼ばれ、時には周囲と激しくぶつかり合いながら、嵐のように生き抜いた。 私生活でも、破天荒な人生だった。1980年に女優・いしだあゆみ(71)と事実婚状態となり、84年には離別。他にも2度の結婚、離婚を繰り返した。83年には大麻取締法違反(所持)で、84年には飲酒運転で人身事故を起こし、04年10月にも人身事故を起こして逮捕された。05年には降板した主演映画の出演料を巡り、恐喝未遂容疑でまたもや逮捕。同6月に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受け、事実上活動を休止した。 08年に活動を再開。11年2月に事実婚を含む4度目の結婚した以降は、「家内に会った瞬間から、全ての過去は忘れました」と発言。物腰も柔らかくなり、あちこちで「丸くなった」と言われるようになった。 萩原さんの最期を看取った理加夫人は、所属事務所を通じコメントを発表。「最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました」と明かした。ひどく憔悴しているといい、「今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます」と悲しみをうかがわせた。 |
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