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この時期のこういうのを見るとモノすっごい違和感を覚えるんね。 ここ最近、なろうで小説書いてるからか、昭和史に触れる機会があるんだけど、それから特に思うようになった。 空襲の惨劇や戦場の話をしたからってそれがどうしたって? それって地震の体験談と変わらないよね。 地震ならばその体験談によって対策も立てられるんだけど、戦争体験聞いて何になるの?ただの苦労話じゃん。 体験者本人はそれでもいい。しかし、何故そんな体験談を何の対策も無しに引き継ごうとしてるのかまるで意味が分からない。 戦争がなぜ起きたのか? そこにまるでスポットを当てることなく、単に戦争反対というのは何て喜劇なんだと。 そもそも、戦争の遠因は昭和の野党が政局のために軍内にくすぶってた統帥権の独立って解釈を議会でぶち上げた事なんだよ。 ナニカ政策がある訳でもなくそんなものをぶち上げた張本人がどうなったか、二年後、見事総理の座を射止めながら「飼い犬にかみ殺された」って事実から目をそらして、殺害された総理をまるで民主主義の英雄であるかのように持ち上げてるよね、今の日本。 それでいて戦争反対、二度と戦争を起こすな。アホですか? 今そこに、当時の野党政治家みたいな野党政治家が蠢いてるの見て何も思えないって時点でオカシイんだよ。 何の教訓も得ていない。ただのポピュリズムに乗った受け狙いの政局屋を野放しにしてる。その時点で今は戦前と何の違いもない。 本当に知っておくべきことは、昭和5年のあの時、政局のために暴論ぶち上げた犬養毅や鳩山一郎みたいな政治家が今も国会に居る現実。そいつらが一歩階段を踏み間違えれば似たような悲劇が繰り返すかもしれないという現実ではないのか? そこから目をそらし、傷のなめ合いをいつまで続けてる気なんだ?もう当事者たちはとっくに墓の中なんだ、そろそろ見るべきことを直視したらどうなんだろう。 |
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2019年08月15日
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