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子どもの頃から、
「変わってるね」 「なにそれ、変なの」 といわれ続けてきたので、 自分は「変わっている」「変な奴」「皆とはなんか違う(悪い意味で)」なのだと 思ってきた。 今でもそれは変わらない。 でも福祉の学校で、障害について勉強すると、 人と違うことは悪いことでもなんでもない、「個性」なのだと教わって、 納得しつつも、 一人で「変」「変わってる」という他人からの評価に びくびくしたり、悩んだりしていた自分が 哀れでたまらなくなる。 今の私は大人だから、 他人が何を言おうが跳ね返す強さも図太さもあるけど、 子どもの時にはそんな強さはないし、 誰も理解はしてくれなかった。 良くて、「変わっている子」として放置するだけで。 きっと、今、この瞬間、 昔の私みたいに、変わっていることを糾弾されて泣いている子どもがいるのだろう。 その子たちのところにかけつけたい。 変わっていることは何も問題ない。 問題なのは、「一般的ではない」「多数派ではない」ことを、 まるで悪いことであるかのように仕立て上げる人たちの価値観なのだと。 |

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子供がありのまま感じる言葉をいうと
時にそれは傷つくこともありますね
でも子供だから・・・と聞き流せます。
大人にもよるけれど語彙力が乏しいとありえたり
今なら発想が豊かとか
個性的とかユニークなどということもできます。
障碍者も決して不幸とは本人も思っていないはず
しあわせって他人が決めることでもなくすべての
その人の心の中にあることなのよね。
2017/12/3(日) 午前 10:26
> arielさん
子どもの語彙力は、どうにも出来ないですよね。
私はむしろ大人からの「語彙力の無い」評価にずっと苦しんできました。
こっちも大人になると、余計に。
人それぞれ言葉の使い方があるのかもしれませんが、
それによって相手が傷ついたときに、傷つけた事実より
「そんなことくらいで…」って言われる、それでまた傷つく、
負のループを繰り返してきたように思います。
2017/12/6(水) 午後 7:46