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空はやっと晴れました。
小学校時代の恩師・S子先生にお会いするため、久々にバイクに乗って10㎞あ まり、クラスメイトK子さんの美容院へ。
きょう先生が頭のお手入れに来られると、K子さんから連絡をもらっていました。
ちょうど60年前のいまごろは小学6年生。
当時は5年、6年とそのまま2年間の持ちあがりでした。
持参した卒業アルバムをまえに、童心に帰って、昔話に花をさかせました。
まだ若いころ、一度だけクラス会をやったことがありますが、それ以来50年近く経 っていて、いまごろクラス会をやったらどんなことになるのか。
このうち中学、高校まで同じ学校で過ごしたのは男子では4名。
わたしを除いた他の3人はすでに他界しているのです。
帰宅して、あれ、しまった!
せっかくデジカメを携えていたのに、撮るのをすっかり忘れてしまった・・。
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無題
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きょう8月8日夜は、こちらの空襲の日。
太平洋戦争末期、昭和19年末から20年8月まで、連合国、事実上はアメリカ軍が日本本土の各都市に対して行った空爆は熾烈をきわめ、全国200以上の都市が被災した。
その凄まじさは以下wikiの詳細な記述をごらんいただきたい。
こちらは都市別戦災概況図
絨毯(じゅうたん)爆撃と称された各都市の無差別空爆から68年を経た今では、これを体験した高齢者も年々減少の一途。
わたしは、当時まだ4歳の幼児で詳しく知らないことですが、戦時下の厳しい報道管制で、多くの国民はなにも知らされず、戦後になってはじめてその全貌を知ることとなったようです。
郵趣の面では、庶民が差し出した当時の手紙やはがきで、その一端を知ることができます。
衝撃的なヒロシマ・ナガサキの原爆投下のかげに隠れたこの膨大な史料も、後世に伝えなくてはなりません。
どうしてこのようなことになったのか、それについては、広く深く顧みる必要があります。
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おととい9日からインターネット環境がおかしくなりました。
myページが出てきませんし、ネットサーフィンもできない・・・。
別のサイトからやっとたどりついて書き込んでいます。
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見慣れない封筒を見つけました。
郵便局間で使用されたものでしょう。
和紙で謄写版の印刷、裏側(右図)に明治30年3月岡部上納 とあります。
そういえば赤い十字は、どなたかのブログにあったようですが・・・。
どなたか詳しい方、解説してください。
明治時代は都道府県より江戸時代からの国名が一般的でした。
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きょうは、つぎの自治会長さんへの引き継ぎ業務に終始しました。
一般企業やお役所、学校その他、3月はどこも異動のラッシュです。
収集仲間でブログ仲間でもある「とど」さんも、転勤でまた関東へご出発。
人生至るところ青山あり。
どうぞお元気でご精励ください。
あすからいよいよ新年度。
毎日が日曜日の身ですが、気持ちを新たに精進しましょう。
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