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9月もはや中旬をむかえましたが、まだ暑い日がつづきます。
いろいろと雑用が重なって、ブログ更新もままなりませんが、
合間をみて、更新を心がけて行きたいと思います。
切手ではありませんが、似たようなものを手に入れました。
「愛盲十字シール」というもの。
目の不自由な方々の福祉のために発行されたものですが、
恥ずかしながら、これはよく知りませんでした。
図案は、小磯良平画伯によるもので、君子蘭が描かれています。
複十字シールは、結核予防シールとしてかなり知られています。
いろいろな福祉活動で、献金を募るためにこういったシールを
発行するのはよいことと思います。
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無題
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お盆前から、なにかと忙しくしていて10日間も更新がストップしてしまいました。
12日は地元学区の夏祭り、盆踊り大会。
15日は市の夏祭りフィナーレとなる花火大会。これも地元町内での開催でしたから、翌日の早朝から川へ出て清掃作業でした。
休暇となった息子や娘たちが次々と帰省、そしてまた次々と出てゆきます。
懸案となっていた新旧のパソコンのデータ引っ越しを、息子の協力でやっとすませましたが、扱いに慣れるまで容易ではありません。
長年使っていたXPのノートパソコンは、このところメモリー不足ですっかり動作がにぶくなってしまいました。
でも、壊れたわけではないので勿体ないと思っています。
あちこちとホームページを見るだけならまだ使えそうです。
新型は、ブログに画像をアップするにも四苦八苦です。
キーボードの右にテンキーがついていて、ボタンの数も増えて位置もすこし ちがっているところもあって・・・。
いやはや、60の手習いどころか70ですからねえ。
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高温と干天が続いています。
一昨日の8月6日は広島・原爆投下から67年目の日。
広島市内はもとより、県内ではさまざまな追悼行事が行われました。
そして今日、8月8日は、当地福山が空襲にさらされた日です。
当時、私の一家は20数㎞離れた岡山県内の片田舎に住んでいました。
この日の夜も、暑さを凌ぐため、道ばたの縁台でみんな夕涼みをしていました。
遠くに轟音が聞こえ、やがて南西の空が赤く染まりました。
人々はどこがやられているのだろうかと話していました。
やがて、わたしの父はいそいそと出かける支度を始めました。
朝、起きてみると父の姿はありません。
夜明けに自転車で福山に向かったのです。
福山の中心部に母の実家があって、そこには母の母、つまり祖母が
ひとりで住んでいました。
二人の息子(わたしの叔父たち)はいずれも出征していて、祖母はひとりで
留守宅を守っていたのです。
早朝の、まだ燻りつづけ焼け野原となった街なかを自転車を押して祖母の姿を 探したそうです。
あちこちの防空壕をのぞいては、穴の中にうずくまり、うなだれたまま亡くなって いる多くの犠牲者の顔をたしかめながら・・・。
さいわい、祖母は避難していて無事でした。
我が家に連れ帰り、祖母も家族の一員となり一緒の生活がはじまりました。
わたしがまだ4歳のころのことです。
あす、8月9日は長崎の原爆投下の日です。
そして15日は終戦。
67年前の暑い8月は、日本の人々にとって忘れることはできません。
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7月15日の梅雨明け以来、ずっと晴天がつづき、きょうの最高気温は35度。
乾燥注意報がでています。
地元の自治会のお世話と、菜園の水やりとキュウリの採り入れなどで戸外へ出るこ とも多く、汗だくの毎日です。
みなさんのブログを見るばかり、当方の更新はサボっているばかりです。
とにかく1日が早くて、能率がわるく、やるべきことが溜まってしまいます。
あすはこちらの切手の例会。
配布すべき会報がなかなかできず四苦八苦しています。
例会はいつも第2日曜日なのですが、8月はお盆間近となるので第1日曜日。
高齢者が多いので、この暑さでの外出は敬遠されるかも。
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1週間も更新を怠ってしまいました。
身辺は多忙です。
7月3日(火曜日)から降り続いた雨で地盤がゆるみ、こちらの町内でも被害が出 ました。
家屋をはずれ、落石は空き地だったのは幸いですが、
まだ収まったわけではありません。
通報で駆けつけた市の職員たちも、降り続く雨の中では、写真を撮ったら
様子をみるだけで手の打ちようがありませんでした。
きょうになってもこれ以上の崩れはないようで、ほっと一息です。
もう雨が降らないよう祈るばかりです。
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