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1930年(昭和5)8月1日 印面に楠木正成の銅像を描いた 新しいはがきが発行となります
料額印面は青緑 用紙は薄い黄色紙
表示が「郵便はかき」となっていて 「か」に濁点がありません
のちに濁点が付くものが発行されますから
このはがきは 「点なし楠公」と呼ばれています
発行年のものを探したら やっとみつかりました
日本橋の機械印 昭和5年9月6日
機械押印の際 はがきが滑ったようで 丸い唐草印がいびつに
なっています
「国産品を使ひませう」という標語と櫛型印で 一体となっていて
標語入り機械日付印と呼ばれています
もうひとつ
櫛型印の上部に 抹消用の6本の縦線がくっついています
これも 機械印で 平川式機械印と呼ばれるタイプです
この時代は 機械押印の改善に工夫をしていたことがわかります
楠木正成の銅像を描いた印面の 楠公はがきは
これから終戦まで続きますが
太平洋戦争戦争勃発 相次ぐ郵便料金値上げ 物資不足
製紙工場の空襲被害などで さまざまな変化があります
戦前と戦中 そして終戦直後にわたる 昭和の激動の時代を
楠公はがきで その一端を示すことができます
恥ずかしながら きちんと整理できていないので そのつど
モノを探しながらアップとなります どこまでできるでしょうか
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はがき
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分銅はがきのつぎは 楠公はがきかな
震災はがきも もう少しアップしたほうが などと材料を探すしまつですが
あちこちにしまっていて 収拾がつきません
もっと きちんと 整理をしておかなくては
はがきの束をごそごそしていて こんなものが出てきました
えっ これってなに?
戦前の記念切手 教育勅語4銭貼り
昭和23年なら はがき料金は50銭
だいいち この切手は使用できないのかも
それにしても この消印
ゴム印かな? 周囲が グニャグニャと
不鮮明ながら 名古屋中 23.2.4 C欄は愛知県
この時期に 名古屋ではゴム印が使われていた・・・?
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1923年(大正12)9月1日の 関東大震災による印刷局の罹災で 分銅はがきの 発行は中止され 民間の印刷会社で暫定的に 「震災はがき」と呼ばれる 小型のはがきが発行されました
これが震災はがきです
ところが 震災はがきの評判が悪く 1925年(大正14)5月 印刷局が復興した こともあって 焼失を免れた原版を使って 再び分銅はがきが発行となりました
その際 銘版が削除されされたことから 「銘なし・分銅はがき」と呼ばれて います
消印は 長い波形の付いた
唐草型機械印
かんじんの部分が筆書きと重なって 読みづらいのですが
拡大図をアップします(右図)
(朝鮮) 鎮南浦 (昭和)5年1月1日
年賀状です
年月日が一列に並んでいるところが すこし変わっています
カタログでは 分銅はがきのあとに 震災はがきとなっていますが
順序は 分銅銘付き→ 震災→ 分銅銘なし となります
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1914年(大正3)7月 第1次世界大戦により ドイツから輸入していた
紫色インキが途絶したため
1915年(大正4)10月1日 刷色を青色に変えた 「青分銅はがき」が
発行されました
青色の分銅はがき 使用済はたくさん残されていますので
集めるのは容易です 百円均一でバザールに出ています
発行年の 大正4年でもあればいいのですが 手元にありせんので
少し変わった消印で
93年前の 台湾からの年賀状です
消印は林式 台北 (大正)11年1月1日
一見 櫛型印のようですが これは機械印なのです
もうひとつは 唐草型機械印 大連 (大正)12年12月30日
大正13年の年賀状です
下に 逓信省発行 印刷局製造と入っています
これが銘版付き
つぎに 銘版なしが発行されます
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1911年(明治44)11月1日 印面に「はかり」の分銅(ふんどう)を描いた図案の
新はがきが発行されました
余談ですが 分銅といっても いまではよく知らない人も多いでしょうね
天秤式の「竿はかり」のオモリですが 今では使いませんから
このはがき 紫色の刷色であることから 「紫分銅」と呼ばれています
最初は 青紫色でしたが しだいに赤紫色に変化しています
印刷用の紫色インクは ドイツから輸入されていました
図のはがき いささか汚れていて 鉛筆書きですが
消印が 鉄道郵便印なので・・・
大正1年9月10日の使用です
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