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はがきを整理していて 官白をみつけました
戦後初期の記念スタンプです
念のため この書籍で調べてみると
あれつ、見当たらない
どうやらこれは 小型記念スタンプでなく 風景印と同じサイズだから
小型印ではないということらしい
しかし 各地の公式行事 催し物を記念した記念印にはちがいないのだが
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消印
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このところ菜園の畑仕事ばかりをアップしていて、自分でもいささかうんざりです。
きょうも、午前中はイモ掘りとイモ蔓の処分、午後は叔母の行き先を探すため市内各所の介護施設をあちこちで一日が暮れてしまいました。
一口に介護施設といってもいろいろな種類があって、叔母の場合はどれが適するのか、こちらも勉強です。
すこしは気分を変えて、束の間の趣味の世界です。
このはがき、数ヶ月前に著名なオークション目録に登場していたので見覚えがありましたが、とても手に負えないものと眺めただけでした。
それがどういうわけか、目の前に出てきたので思い切ってゲット。
備中七日市は、いまの岡山県井原市で、わたしの住む町とは県境をはさんだ隣の市です。
備中には、多くのベテラン収集家が熱心に郷土の消印を集めておられたようですが、いまはどうなんでしょう。
この不統一印は貴重ですし、記番印の第五号もそんなに多くはないと、尾道先生のお言葉。
備中国の消印を本気で追っかける気はありませんが、これは珍しいもの。
所蔵者は知り合いのベテラン収集家。
他へ散逸しないよう、こちらへ留めておきたいという気持ちもはたらいたのです。
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1週間前の「ふくやま・バザール」で手に入れた広島ボタのエンタイアとはがきです。
封書の方は相当つぶれたボタ印ですが、まあ、こんなものもあるでしょう。
はがきの方は鮮明なのですが、残念ながらボタ印の一部がはずれています。
さして高いものでなかったので買ったのです。
いずれも広島から岡山へあてたもので、二重丸印の岡山は、到着(配達)局で押印されたものです。
広島ボタの部分を拡大して位置をそろえてみました。
ボタ印は二重丸印とつながった構造なので、カバーなら二重丸印の表示で使用時期がわかります。
これは明治一九年八月一日 ト便
はがきの方は
明治一九年一月二日 ロ便
日付から推して、裏面は当然年賀状です。
ふたつの消印は同じものか、それとも別のものなのか、書体やつぶれ具合をくわしく調べ、タイプに分類し変遷を追求する消印研究家・愛好家がそれぞれの地に多くおられます。
この二重丸印を比べて見ると、両者は別の消印と思います。
「いも判」のように「ボタっ」としているのでボタ印と呼ぶのかどうか。
むかしは漢字で「拇太印」とも記されていましたが、これは当て字でしょうね。
とにかく、見てわかりやすい明治時代の代表的な消印の1種なので、むかしから収集家の間でとくに人気があり、稀少な局のモノはたいへん高価に取引されます。
とても本気で集める資力も気力もありませんが、郷土の消印となればいささか興味がわくところです。
東京、横浜、名古屋、京都、大阪など、郵便物の多かった大都市の局のボタ印はたくさん残っていますので、入手は容易で「駄モノ」といわれます。
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気温はやや上がって、曇り空でときどきポツポツと雨が。
これが通り過ぎると、明日はまた冷えこむようです。
ブログを更新しないと心配する向きもあって、宿題を残したようでどうも
落ち着きません。
でも、ネタに思い当たらないこともあって・・・さて。
これはハガキではありません。表面が黒枠の封筒なのです。
中身はありませんが、およその見当はつくでしょう。
こんな郵便を受け取ったら、いささか改まった気分になりますねえ。
消印は標語のついた機械印です。
標語の部分が大きいので大型標語印の部類でしょう。
左は消印部分を拡大したものです。
「儲ける夢より 預ける思案」をしなさいということか。
つまり貯蓄奨励の標語でしょうね。
局名と日付は、新京中央 12年10月16日
新京とは中国東北部、かつての満洲国の都市。
いまでは長春となっています。
貼ってある切手は田沢型の3銭。昭和白紙らしい。
昭和12年10月なら書状料金は4銭のはず・・・?
あ、そうか、これは印刷物を封入していたので第4種便 の3銭で合っているのですねえ。
第4種便と表記してあればすぐわかるのですが。
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きょうは1日中雨模様で、寒い日でした。 |



