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昭和20年8月31日出現の3銭です。
図案は「盾と桜」、これも「時局郵便切手図案懸賞募集入選作(3等3席)を修正したもの」とあります。
告示による発行日は8月1日ですが、実際は8月31日消印のものがもっとも早いようです。
切手はたくさん残っていて、1枚のカタログ評価は○十円。
いわゆる駄モノですが、消印の鮮明な使用済は貴重でしょう。
用途は第3種(日刊新聞)、第5種(農産物種子)ということですが、これはとても少ないでしょう。
もしあれば第3種なら5万円、第5種なら8万円と評価されていますが・・・。
この時代のはがきは料金が5銭ですから、2銭はがきに貼り足してあれば○千円。
直前は3銭はがきでしたから、2銭はがきへ加貼されたものもそんなに多くありません。
複数枚や、他の切手と混貼されて使われた例がもっとも一般的です。
左のものは,はがき料金15銭時代となって、5銭小型楠公はがきに10銭貼り足して15銭としたものです。
切手とはがきの大きさを比べれば小型の楠公はがきであることがわかります。
消印は、年号21はなんとかわかりますがあとは・・・ダメですねぇ。
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昭和切手
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昭和20年(1945)7月1日出現の5銭です。
出現というからには、発行日はいまだ明らかでないということでしょう。
第3次昭和切手はそのような場合が多くなってきます。
昭和20年ともなれば、物事は正常に機能していないことがうかがえます。
図案は、「時局郵便切手図案懸賞募集入選作(佳作)を修正したもの」で、
日本陸軍三式戦闘機「飛燕(ひえん)」です。
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この切手は、未使用も使用済もたくさん残っています。
刷色は図のように緑から青にいたるまで、さまざまな変化があって、専門収集においてはこの色の変化は重要な要素になります。
用紙も粗紙、灰白紙、白紙とあり、印面図案の細部にいろいろな違いが認められ、「定常変種」のバラエティが多い切手です。
用途は、昭和20年4月1日から5銭となったはがき料金に対応して、1枚貼りの、私製はがきが一般的でしょう。
ただ、翌21年7月25日から、はがき料金が15銭となったため、1枚貼りの私製はがきとしての使用例は1年そこそこの間ということになります。
消印が薄くて局名は不明ながら、日付は 21.5.31 C欄は岡山縣。
この切手も当然「追放切手」となり、昭和22年8月31日限りで使用禁止となっていますが、それまでに他の切手と合わせて使用されたり、複数枚貼って使用されています。
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第3次昭和切手は、昭和20年から21年にかけて、目打も糊もない切手をまとめたグループになっています。
印刷方式も簡便で量産的なオフセット印刷です。
さきにアップした水色勅額10銭も、そういった意味合いから第3次昭和切手にリストされ、告示では昭和20年4月1日発行となっていますが、これはもう不発行切手に近い存在と思います。
つづいては、同じ10銭で富士と桜を描いたもの。
第2次昭和の20銭の額面と版式をあらため、目打も糊もないオフセット印刷です。
古い文献には「10銭勅額切手が使えなくなったので、昭和20年10月に発行」となっていますが、いまのカタログでは20年6月16日に出現となっています。
ならば、発行の経緯も違ってきます。
この10銭は、未使用はたくさん残っていて入手は容易ですが、使用済は消印読めるものを探すことがかんじんです。
昭和20年4月1日から、第1種(書状)料金が10銭となったので、需要増大に対応して凸版印刷をやめ、オフセット印刷に切り替えた新切手を発行したと考えるのが妥当でしょう。
したがってこれを1枚貼った左のような書状は別に珍しいものではありません。
できれば昭和20年の使用例がいいのですが、当方のものはすべて21年でした。
消印は、吉祥寺 21.6.7 C欄は東京都。
やや不鮮明ですが、年月日がこれだけはっきりしていればいい方でしょう。
この10銭は追放されなかったので、戦後になってもたくさん使用されています。
第3次昭和切手は、用紙が白紙、灰白紙、粗紙に区別され、すかしも「正すかし」と「狭すかし」があり、刷色の変化などもあって、専門的な収集では、製造面についての分類も複雑多岐にわたります。
それらを取り上げると際限がないのです。
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きのう10銭勅額切手の灰色をアップしましたが、
それに関連して、水色勅額切手を登場させないと話しになりません。
「さくら日本切手カタログ」や「日本切手専門カタログ」には、第2次昭和切手に灰色がリストされ、青い方は第3次にリストされています。
きのう紹介した発行事情によっても、両者を別々に切り離すことは不自然と思いますが・・・。
古い文献の解説を続けてみます。
灰色勅額無目打切手は、5月26日東京中央局入手が一番早く、東京市内のいくつかの局および大阪の一部の局で売りさばかれた。
8月15日、日本は無条件降伏した。占領軍に対する配慮から、郵政当局は勅額切手の使用を中止することとし、逓信局は8月24日、各郵便局に次のような電報を発した。
5月18日告示208号ノ10銭切手ニ付下記ノ通リ取計アレ。
1.売捌ヲ停止スルコト。
2.売捌済ノモノハ ナルベク他ノ切手ト引替フルコト。
3.郵便局ニ貼付シタルモノハ剥取リ、料金収納印ヲ押捺シ、又ハ料金収納ノ旨ヲ表示スルコト。
4.保管中ノモノ及ビ引替タルモノノ処分ハ追而通牒ス。
保管中のものおよび引き替えたものは、その後の通達により回収され全部溶解処分された。
この切手はこの時点では完全に使用禁止ではない。事実使用してもさしつかえなく、ただ切手を貼った局側で剥ぎ取り、料金収納印を押す処置をとるということであった。
局によっては、そのまま平気で通しているもの、消印を押してから剥いでいるもの、剥いで日付印を押しているもの、剥いだだけのもの、敵国降伏の文字のみを赤鉛筆、紫インキあるいは墨で抹殺しているもの等、あるいは行き過ぎて10銭地図まで発売停止した局など、その処置は混乱した。
さて印刷準備されていた淡青色オフセット勅額切手は、終戦時やっと配給が始まったばかりであり、九州での1小局の例外を除き、実際に窓口で発売されることなく回収され、溶解処分された。というわけで、告示に明示された淡青色の勅額切手は結局発行されず、実際に発行された灰色勅額切手に対する告示は出ずに終わるかと思われていた。ところが発売より8か月、使用停止より4か月もたった12月20日、「昭和20年4月1日、納戸鼠(なんどねずみ)色の勅額切手を発行した」という新しい告示が突然発せられ、人々を驚かせた。
要するに、淡青色(水色)勅額切手は発売された切手とはいえないもので、
未使用切手はカタログ評価6800円。
そのつもりになれば容易に手に入ります。
が、九州の1小局で発売され、それを貼ったエンタイア(封筒)がごく小数存在するのですから、これは驚きです。
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第2次昭和切手のアンカーは、昭和20年(1945)4月発行の10銭です。
図案は「時局郵便切手図案懸賞募集3等1席」を修正したもので、
福岡県筥崎宮(はこざきぐう)の楼門にある亀山上皇の勅額を描いたもの。
目打ありとなしがありますが、いずれも糊はありません。
終戦直前の発行で、ドラマを秘めた問題の切手です。
とにかく、未使用は比較的たくさん残って容易に入手できますが、
消印のはっきりした使用済とエンタイア(カバー)は稀少です。
たった1枚、昭和20年9月23日の日付だけが読める使用済を持っています。
この時期は読めないものがほとんどですから、年号だけでも可読ならOKです。
以下は文献「昭和切手研究」による解説です。
昭和20年4月1日から第1種(封書)料金が7銭から10銭になるため、10銭切手の需要増加が見込まれた。従来の10銭切手は南方地図とヤシを描く2色刷であった。
物資欠乏の折から2色刷を改め、1色刷の凸版切手の発行が計画された。勅額の図案が選ばれ、印刷が開始された。
最初、淡青色で刷る予定であったが、担当官の連絡不備から印刷局では灰色で刷ってしまった。
印刷局で刷った切手は一時大手町の倉庫に収められ、そこから全国の郵便局に送られる。
この倉庫が昭和20年3月10日の空襲で灰になり、勅額切手は全焼したと信じられていた。
ところが以前に10銭地図とヤシの切手に混じり、勅額切手を配給された局があり、10銭切手の需要が高まったおりから告示を待たずこれを売り出してしまった。
4月中旬、愛知県、岐阜県と東京都内の一部の局がもっとも早い。
通信院ではこの事実を知り、5月18日、前例のない切手発行の遡及告示という過去形のもの、すなわち4月1日より淡青色の勅額切手を発行したという告示を発した。実際発行された切手は灰色であった。
4月14日の空襲で印刷局滝野川工場が焼失したため、その後切手は紙幣工場で刷られたようである。しかしながら、ここですべての需要を満たすことはできないので、印刷局では民間工場での切手印刷を考えた。民間工場で凸版印刷を早急に行うことは無理なのでオフセット印刷にすることとし、凸版印刷板橋工場で、今度は本当の淡青色勅額切手の印刷が始まった。
まだまだ続くのですが、本日はこれにて打ち止め!
この切手のカバーを持っている方があれば・・・。
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