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昭和17年(1937)10月1日発行の4銭です。
図案は、「時局郵便切手図案懸賞応募入選作1等を修正したものと富士山を組み合わせたものと、古い文献にあります。
図案の塔は、八紘基柱(はっこうのもとはしら)とよばれ、紀元2600年を記念して宮崎県日向に建てられた「八紘一宇」の塔で、戦前派の方々ならわかるでしょう。
「八紘一宇」の用語は、GHQから軍国主義を象徴するものと決めつけられ、戦後はこの塔も「平和の塔」となっていますが、古代日本から存続していたという認識も必要です。
未使用、使用済ともにたくさん残っていて、1枚○十円で手に入りますが、印面が中央にないオフ・センターが多いので、真ん中に収まっているウェル・センターを揃えたいものです。
使用済はまだこれからこれから。
第1次昭和切手では3銭水力発電所が使用されていましたが、昭和17年4月1日から料金は4銭と改訂されています。
印刷物が入れられた茶封筒が多く、商用などの大量郵便物であるため、たくさん残っていて珍しいものではありません。
このときの第4種に該当するものは、戦後、昭和26年11月1日の「郵便の種類改訂」で第5種とされ、
昭和46年6月末をもって廃止されています。
現在の第4種郵便物は、通信教育・植物種子・学術刊行物・盲人用点字となっています。
消印を見て、その時期の料金を「変遷表」で確かめながら収集してゆくのも、頭の体操になります。
ちゃんと頭に入っていればいいのですが、それがなかなか・・・。
このカバーの消印は時刻表示欄に時刻はなく、★印3個となっていて、戦時体制の「省力化」をはかっていることがうかがえます。
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昭和切手
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第2次昭和切手となりますが、
第1次昭和とか第2次昭和などの区別は、切手収集家が分類するうえで、それぞれのシリーズとして付けた名称なので、切手を発行した郵政当局(当時は逓信省)がつけた公的な名称ではありません。
そのため、切手カタログによっては、異なった分類となることもあります。
5銭東郷元帥は、昭和17年(1944)4月1日、郵便料金改訂で、第1種(封書)料金が4銭から5銭となったため、4銭東郷の原版を改刻し、額面と刷色を変えて同日発行されています。
戦時体制で資材はしだいに逼迫し、目打の抜けも悪くなります。
この切手は後期になると裏糊も引かれなくなり、版は摩滅、色も浅くなってきますので、未使用は糊付きと糊なしに区別されています。
中段の未使用3点は糊なしです。
使用済は当然、すべて糊がないのですが、刷色が違うので区別はつきます。
用途は第1種(封書)の基本料金ですから、一般によく使われていて、めずらしいものではありません。
17年8月23日の消印です。
あて名書きは達筆の毛筆書きで、なかなかいい感じです。
エンタイアの条件として、あて名書きの文字まではあまり問題とされないこともありますが、ありふれたものの場合はできるだけ見栄えのよいものを揃えた方がいいと思います。
この5銭は、昭和20年4月からは第2種(はがき)が5銭となったため、1枚貼りの私製はがきとして
使用され、それは適応使用例となります。
右のものは5銭を4枚貼って、そのうえ第1次の 8銭、12銭を貼った賑やかな速達便です。
使用は昭和20年12月28日。
年号の20年のつぶれた様子がよくわかります。
消印の時刻欄も県名が入っています。
この時期は第1種10銭、速達料金30銭ですか ら合計40銭の速達便として金額は合っているも のの、各切手についていえば適応していません。
評価は5銭切手の多数貼りというところでしょう か。
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あとひとつ、洩らしていました。
昭和14年(1939)6月11日発行の50銭です。
凸版2色刷りです。
これも初期・後期でちがいがありますが、上段の未使用は目打の抜けも悪く初期ではありません。
用途は外国向け書留封書料金ですが、昭和17年4月1日からは
から4㎞を越す地域への速達料金、4㎏までの小包料金です。
使用済の消印は、初期は為替印が多いようです。長く使用されたので後期は郵便消もあります。
この切手はたくさん残っていますから、未使用の入手は容易です。
右の田型は、南方占領地・マラッカの消印です。 ゴム印のようで、丸の中は、大日本 8.14
2605。
皇紀2605年・・・とは昭和20年8月14日。
郵便印か記念印かそれとも・・・。
南方占領地の分野はよく知らないのです。
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昭和15年(1920)2月1日発行の20銭です。
きょうで第1次昭和切手の最後、と思ったら、どこかまだ抜けている?
これは20銭が外国郵便書状料 金であることを考慮したから。
凹版印刷で、初期は鮮やかな 青色ですが、だんだん色あせて きます。
昭和16年12月、印刷局で改 色を行った記録があるそうです。
富士山と桜・・・。
むかし、国鉄の特急列車に「富士」と「さくら」がありましたねぇ。
まだむかし、たばこの銘柄にもあったような。
富士桜という力士もおられたようで。
本来の用途は、内地植民地航空増料金とか航空軍事はがきなどですが、そんなものは宿題です。
このカバーは昭和16年の書留・配達証明便。
第1種(書状)4銭に書留料10銭、配達証明料8銭で合計22銭。
たしかに金額は合っているものの、各切手についていえば適正でも適応でもないシロモノで、お恥ずかしい。
昭和17年4月1日から第1種料金は5銭となり、2年後の昭和19年4月1日から7銭となります。
右の封筒は昭和19年5月4日の消印です。
この時期の速達料金は20銭で、国内便でも20銭が速達料金として適応します。
よく見ると、消印の時刻表示はなく、かわりに県名(岡山県)が入っています。
この消印(C欄都道府県名入り)は、太平洋戦争末期から戦後にかけて多くの局で使用されています。
それに着印も省略されたのか、見当たりません。
左はもっとおそい戦後の使用例。
昭和23年4月ですから第1種(封書)は1円20銭の時代です。
速達料金が4円で合計5円20銭也。
この時期にはこの20銭切手はもう郵便局にはなかったでしょうに。
手元にあったものを貼りあわせたのでしょうか。
消印は相当摩滅していますが、年月日が読めるのが救いです。
なお、昭和切手のなかで、図案が軍国主義や侵略政策・神道に関するものは、戦後GHQ(連合軍総司令部)の指示で、昭和22年8月末で使用禁止となりました。それらは追放切手と呼ばれています。
追放されたのは人だけでなく、モノも対象となったのですねぇ。
20銭富士・桜の図案は合格、追放を免れて生き延びたわけです。
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昭和12年12月1日発行の12銭です。
あれっ、しまった! こちらの方が5銭より早い発行でした。
凹版印刷で、これも初期・後期 と区別されていますが、色調の 変化はいまひとつわかりにくい のです。
一番右の切手は印面が上に ずれ、オフ・センターと呼んでい るもので、状態としては感心できないものです。
この切手が発行されたときの第1種(書状)料 金は4銭。
速達料金は郵便区市内の場合8銭なので、封 書の速達便12銭は、この切手1枚貼りとなりま す。
これは用途に即した適正使用例です。
速達便は到着(配達)局でも押印します。
封筒の中ほどの消印がそれで、収集家は到着 印とか着印と呼んでいます。
いまも速達便には着印が押されています。
消印は、福山・○町15.8.9 (午)前8−12
着印は、岡山・総社で同じ日の(午)后4−8
その日のうちに着いています。
右の封書は書留便です。
昭和17年4月1日から、第1種5銭となり、 書留料金が12銭となったので、このような 使用となりました。
つまり、12銭は書留料金に適応となった わけです。
じつはこのとき、速達料も普通地域12 銭となっているので、その封筒やはがきも 揃えたいものです。
12銭はよく使われていますから、切手も エンタイアも比較的たくさん残っていて、そ んなに珍しくはありません。
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