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かいこ 蚕 Silkworm チョウ目、カイコガ科、カイコガ属、カイコガ種 、カイコガ(正式名称)。カイコ、家蚕(かさん)と呼ばれ、人による育成種で東南アジアに生息するクワコが祖先と言われている。擬態のポーズや、足の吸盤などが退化し、野生としての生息は不可能とされる。 蚕の分類 鱗翅目(りんしもく) カイコガ科 カイコ(家蚕) 日本種 中国種 欧州種 その他 クワコ ヤママユガ科(野蚕) テンサン(天蚕)(ヤママユ) サクサン(柞蚕) タサールサン ムガサン エリサン シンジュサン ヨナクニサン クスサン フウサン(又は、テングスサン) カレハガ科 蚕のから絹糸を取り出すまで(蚕糸) 蚕種(さんしゅ) カイコの卵 養蚕(ようさん) 幼虫「毛蚕(ケゴ)」「蟻蚕(ギサン)」 孵化したての幼虫は黒色で疎らな毛に覆われている 10時間ほど「眠」脱皮 青白いイモムシのようになる 4回前後脱皮する 二令幼虫「毛ふるい」 (体毛が目立たなくなる) 蛹化(ようか)が近づくと クリーム色に近く半透明化する 頭部を∞字型 に動かし繭を作る 製糸 繭から生糸を取り出す 蚕の歴史 初めは(年代は不明) 野生のカイコの繭を集め、それから糸を紡ぎ出して絹織物を作った その後 カイコを飼育し、改良されて絹を作ったと推測されている 紀元前2700年頃 (中国)銭山漾遺跡からは平織の古代絹が発見されている 紀元前10〜3世紀頃 弥生時代 (日本)遺跡から平織りの絹織物が出土 紀元前300〜200年頃 絹織物は、中近東からヨ―ロッパ・北アフリカを結ぶ東西交易路を通じて、 貴族達が好む西域の玉(ぎょく)と交換された 漢代初期 (中国)馬王堆漢墓からは錦や綾・絨圏錦・絽・紗・羅・刺繍などが出土 その後、シルクロードへ 中国の長安(現在の西安)からコンスタンチノ―ブル(現在のイスタンブール) に至る交易路 3世紀頃 コンスタンチノ―ブルで中国の生糸を使った絹織物が生産 6世紀 蚕種が持ち込まれて、コーカサス・ペルシャからスペインに 至る地域で養蚕・製糸が行われる 19世紀中期 ヨーロッパで蚕病(微粒子病)が蔓延して壊滅状態に陥ったため、 蚕糸業の中心は再び東洋に回帰 |
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2007年10月13日
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筆者の近著で、オンデマンド出版で、アマゾンでで販売されている。何年も前に図書館で著者の「婦人既製服パターンの理論と操作」を読んで感銘を受けた。本をコピーして幾度も目を通した。そのコピーはどこかに行ってしまって見当たらない。私の本の管理には問題がある。ネットでパターンについて検索していると、著者のサイトを発見した。しかし、先の本は販売されていなく、また、サイト内にも望む情報はみあたらなかった。しかし、アマゾンで古書を発見して気持ちが落ち着いた。 |
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パターンメーキングの基礎 (体格・体型・トルソー原型・アイテム原型・デザインパターン・グレーディング) 小野 喜代司(著) 文化出版局(発行) 洋裁学校の域を出られない、今の日本の服飾教育に疑問を持つ人も多いだろう。そういう私もそうだが、「何故?」に答えてくれない。ただ、詰め込むだけの教育をこの時代も続ける真意が私には分からないい。真の服作りは、この国ではまだ遠いのかも知れない。そんな中で、筆者の著すパターンメイキングの理論は、明確に答えている。奇しくもその発行は、服飾教育の本拠といえる出版社なのは、なんとも複雑な思いがする。筆者のサイトから引用させて頂いた小文は正に私の言いたかった事でした。 新しいパタン開拓者 「ミュラー物語り」からの引用 既製服の生産・販売という父の仕事に当然の様に従事した私は『良い品物は必ず売れる!』と云う教えを疑わず『着易さ』が鍵である、と信じていました。 私は縫製工場に就職し、洋裁学校で学び、立体裁断を習って勉強しましたが『これで良いのか?』と何かが不確かで、従って何かが不安で過ごした若い頃の日々を思い出します。 それは一言で云うと凡ての仕事は『どうしてそうするのか?』と云う理由は教えられず、只『やり方』のみを繰り返して来たから・・と思います。 まだ私が40歳の頃、『どうして?』かが判らなくて”技術は伝承的なもの!”と半ば諦めた思いを抱いていました。『優れた商品』の意味が判らなかったのです。 |
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