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Tennis Shirt Polo Shirt(和製英語) ポロ競技の選手が着用するプルオーバーの鹿の子のカットソーの半袖シャツ。 もともとは、テニス・ウェアーとしてデザインされたものを、特にユニフォームのなかったポロ競技の選手に愛用されたのが、名前の由来と言われている。イギリスで始まったこの競技は、 スノッブなスポーツとして社交の場ともされていたことから、「ポロ」の名前のつく衣類はいくつかあり、同名のブランドもある。 開発者のルネ・ラコステは、テニス・プレイヤーだったが、多くのスポーツ選手との交流があり、スポーツに必要とされていた吸湿性や、運動性、それに、清潔感のある服を開発したかった。その為、ポロシャツは、テニス、ポロ、ゴルフ等の多くの競技で着用される事になった。 生地 鹿の子(ジャージー) スムース、天竺等も使用される 衿 スタンド・フォール・カラー(編みたてリブ) ほぼ長方形で、衿の端がリブの編み目で終わる衿で、本縫いで接ぎ合わせるか、 共布テープで縫い代を始末する。 (一般的なポロシャツの形状) 減らし目を使い衿先の形状が尖ってナローな衿で、リンキングで身頃と合せる (特殊な衿と言える。著名なブランドでは、ジョン・スメドレーが採用している形状。 よりデザイン的、高度な技術、希少性があると言える) 袖 半袖 (希に、長袖もある) 袖付 ●セットイン・スリーブ ●ラグラン・スリーブ 袖口 ●フライス(又は、編み立てリブ)を接ぎ合わせるタイプの提灯袖 (ランタン・スリーブ) ●編み出しリブのランタン・スリーブ(ジョン・スメドレー)
●裏振り2本針の袖口始末の筒袖 開き ●前中心短冊開き(プルオーバー)、釦止め ●裏バインディング開き、釦止め 裾 ●裏振り2本針始末、脇スリットが通常のデザイン ●編み出しのリブ始末(ジョン・スメドレー・タイプ) 参照サイト内関連用語 |ルネ・ラコステ|アイビー・ルック|釦ダウン・シャツ|ポロ・カラー|ポロ・コート|ポロ・ルック|海島綿| 参考書籍 世界服飾史 深井 晃子(著) 美術出版 参考写真 映画 「卒業」 ダスティン・ホフマン 世界服飾史 深井 晃子(著) 美術出版 スポーツ・ウェアー、現代服のベーシック P-148 ルネ・ラコステ 1927年 |
ファッション用語
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アイビー・ルック VAN Jacket歴史 1945年 天津で、米軍オブライエン中尉と石津謙介氏が知り合う。 プリンストン大出身のオブライエンからアイビリーガーの生活や服装について教わり、石津氏がアイビーの魅力を知るきっかけとなる 1951年 石津商店 設立 レナウン時代の仕事仲間、高木一雄氏と当時のレナウンの社宅(現 アメリカ村)を貰い受け開業 VAN Jacketに社名変更(炭谷町) 兄の友人、伊藤逸平氏(写真評論家)の風刺雑誌のタイトルVANの名前を借り受ける 「謙介」「高木」の名前の一部を取り「ケンタッキー」ブランドでスタート コットン、ワークシャツ、ジーンズ、などカジュアルウェア中心 男の服飾(メンズ クラブ) 木村功、岡田英次、菅原文太の若手をモデルとする広告を大々的に展開 1963年 みゆき族がマスコミをにぎわせる。 1964年 1971年 年商100億円を突破。最盛期には300億円 1978年 400億円の負債を抱え倒産 アイビー・リーグ イェール大学 コネチカット州 1701年 コロンビア大学 ニューヨーク州 1754年 ダートマス大学 ニューハンプシャー州 1769年 ハーバード大学 マサチュウセッツ州 1636年 ブラウン大学 ロードアイランド州 1764年 プリンストン大学 ニューシャージー州 1746年 ペンシルバニア大学 ペンシルバニア州 1755年 参照
エンブレム プライドのかたち 向井直樹 美術出版 エンブレム コロンビア大学 ウィッキーペディア アイビリーグの大学 蔦の絡まる建物 映画「卒業」 アイビー・ルックの着こなし ダスティン・ホフマン計6枚 参考映画 スティーブ・マックイーン 「ハスラー」 ポール・ニューマン サイト内参考用語 モードの歴史 近代編 「卒業」|アイビー・ルック|ブルックス・ブラザース|VAN JACKET|みゆき族 エンブレム|ポロシャツ| 参照サイト ブルックス・ブラザース VAN JACKET 続く(今回は、写真の追加と一部修正)上記の内容の詳細は、アイビー・ルックにあります。 |
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アイビー・ルック ブルックス・ブラザース歴史 1818年 ヘンリー・サンドス・ブルックス(45歳) ニューヨーク 店舗開店 「もっとも素晴らしい質の商品のみを取り扱うこと」指針 1830年 一番最初の提案 シアサッカー(Seersuker)のフロックコート(軽く、生地の表面の凸凹が清涼感を誘い、夏の衣料の革新的な提案として受け入れられた) 1833年 ヘンリー他界 長男ヘンリー・ジュニアが引き継ぐ 1845年 アメリカで一番早くレディーメイド・スーツを発売 (ゴールドラッシで人間をせっかちにさせていた。注文服の出来上がりまでの待つことの輪すらわしさから開放し、人気が出た) ダニエル、ジョン、エリシャーがファミリービジネスを継承 ゴールデンフリース(金の羊毛)を会社の商標として採用 (15世紀から続いてきた、英国のウールンマーチャント(毛織物卸商)がシンボルとして用いてきた紋章) 1853年 ブロードウェー店開店 1865年 アブラハム・リンカーン6の2度目の大統領就任式の拡張高いコートはブルックス・ブラザース製 1890年 フランク・G・ロイド(シニアー・パートナー)薄手のシルク地を英国から仕入れ、ネクタイとして商品化 英国のサックスーツ(Sack Suit)から、アメリカン・トラディショナルの原点となるスーツを発表 (アイビーリーグ・モデルの原点) 1.ソフト・ナチュラル・ショルダー(肩綿(パット)とほとんど入れない) 2.シングル・ブレスト 3.プレーン・フロントのスラックス 1896年 The Button-Down Polo Collar Shirt 釦ダウンの提案 (ジョン・ブルックス(創業者の孫)) ポロ競技の選手が、衿が風でなびかない様に、衿先を釦で留めていたのを見て、インスピレーションを得た 1903年 株式会社に組織替え シェットランド・セーター発表 1910年 ポロコート発表 1915年 マディソン街店開店 1920年 ストライプタイ 英国レジメンタル・タイ(左上から右下)の逆方向のストライプ(右上から左下)を採用 ストライプタイの普及は、第一次世界大戦後ウィンザー公がアメリカを訪問したときに締めていたのがきっかけ マドラス 1930年 軽いサマー・スーツ 3つ釦スーツ 1932年 ウォールストリート店開店 2つ釦スーツ 1961年 ジョン・F・ケネディーが大統領就任式の時に、2つ釦スーツを着用したのがきっかけで、成功マインドの強いビジネスマンの服として認知された 1963年 トラベリング・スーツ(ストレッチ・ウールを使用) 1979年 日本、BROOKS BROTHERS JAPAN 設立 現在 158店舗 90ヶ国 続く(今回は、写真の追加と一部修正)上記の内容の詳細は、アイビー・ルックにあります。 |
特徴的なデザイン (対 英国調のトラディショナル)ナチュラルショルダー 肩綿 肩パット)ほとんど使わないで、肩を強調しない 直線的なシルエット(胸にダーツ無、ウエストに絞り無) シングル・ブレスト 3ボタン、2つ掛け、段返り 細目のノッチド・ラペル 水平の胸箱ポケット センター・フック・ベンツ パンツ パイプステム パンツのセンターバックに尾錠付き 現在は実用性は無く形骸化している シャツ 釦ダウンシャツ オックスフォード地 表前立て ストライプタイ(レジメント・タイの逆綾) 出身校の紋章織り込み 靴 コイン・ローファー(ペニーローファー) スリッポン ウィングチップ 続く(今回は、写真の追加と一部修正)参考書籍、写真 ウィッキーペディア アイビリーグの大学 蔦の絡まる建物 映画「卒業」 アイビー・ルックの着こなし ダスティン・ホフマン |
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かいこ 蚕 Silkworm チョウ目、カイコガ科、カイコガ属、カイコガ種 、カイコガ(正式名称)。カイコ、家蚕(かさん)と呼ばれ、人による育成種で東南アジアに生息するクワコが祖先と言われている。擬態のポーズや、足の吸盤などが退化し、野生としての生息は不可能とされる。 蚕の分類 鱗翅目(りんしもく) カイコガ科 カイコ(家蚕) 日本種 中国種 欧州種 その他 クワコ ヤママユガ科(野蚕) テンサン(天蚕)(ヤママユ) サクサン(柞蚕) タサールサン ムガサン エリサン シンジュサン ヨナクニサン クスサン フウサン(又は、テングスサン) カレハガ科 蚕のから絹糸を取り出すまで(蚕糸) 蚕種(さんしゅ) カイコの卵 養蚕(ようさん) 幼虫「毛蚕(ケゴ)」「蟻蚕(ギサン)」 孵化したての幼虫は黒色で疎らな毛に覆われている 10時間ほど「眠」脱皮 青白いイモムシのようになる 4回前後脱皮する 二令幼虫「毛ふるい」 (体毛が目立たなくなる) 蛹化(ようか)が近づくと クリーム色に近く半透明化する 頭部を∞字型 に動かし繭を作る 製糸 繭から生糸を取り出す 蚕の歴史 初めは(年代は不明) 野生のカイコの繭を集め、それから糸を紡ぎ出して絹織物を作った その後 カイコを飼育し、改良されて絹を作ったと推測されている 紀元前2700年頃 (中国)銭山漾遺跡からは平織の古代絹が発見されている 紀元前10〜3世紀頃 弥生時代 (日本)遺跡から平織りの絹織物が出土 紀元前300〜200年頃 絹織物は、中近東からヨ―ロッパ・北アフリカを結ぶ東西交易路を通じて、 貴族達が好む西域の玉(ぎょく)と交換された 漢代初期 (中国)馬王堆漢墓からは錦や綾・絨圏錦・絽・紗・羅・刺繍などが出土 その後、シルクロードへ 中国の長安(現在の西安)からコンスタンチノ―ブル(現在のイスタンブール) に至る交易路 3世紀頃 コンスタンチノ―ブルで中国の生糸を使った絹織物が生産 6世紀 蚕種が持ち込まれて、コーカサス・ペルシャからスペインに 至る地域で養蚕・製糸が行われる 19世紀中期 ヨーロッパで蚕病(微粒子病)が蔓延して壊滅状態に陥ったため、 蚕糸業の中心は再び東洋に回帰 |





