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JBM子爵が何度となく、「意味のないオブジェのよさって何だ」「機能に関係ない象徴的なものは わからん」「現代美術というのはひとの美意識を価値紊乱させるのが目的でないの」と発言している。 こういった発言を「君はパ○ですね♪そりは美的センスがないからであつた」というのも簡単なのだが、 じつはある意味鋭いとろこを衝いている。 先日のNHK「爆笑問題のニッポンの教養」のテーマは美学だった。ここでは「美」とは何か、あるいは美術 とは何かについて興味深い話があった。佐々木健一東大名誉教授は爆笑問題にデュシャンの「泉」という 作品をみせる。この「泉」は500人の芸術家が選ぶ「20世紀でもっともインパクトのあった現代美術」にも選 ばれている。 これは、単なる市販の便器にサインをして展示会に匿名で出品されたものだ。要するに「これがオブジェ(作品) だ」といわれれば否定はできないだろう、ということかもしれない。しかし、太田光は「これは発想がスゴぃけど、 一度見たらそれまで。やはり美術作品というのは何度見ても美しい方が優れている」という。 私もそれに賛成。では、なで現代美術は「フツ〜に美しい」というものから離れてしまつたのか。例えば 美術史家のエルンスト・ゴンブリッチはこう言う、 古代から20世紀のはじめまで(印象派まで)様式や技術の変化はあっても継続性がまさっていた。 この糸は20世紀のはじめに突然切れて途絶えた。その理由は、写真と映画が社会的機能を芸術家 から奪ってしまったから。いまや芸術家は社会と切り離され、自分の心の状態を表現するしかない。 ※1、※2、 JBM子爵の言う、「機能に関係ない象徴性」というのはゴンブリッジの指摘と見事に合っている。つまり、 現代美術からは「社会的機能」が失われているわけだ。では、絵画などの視覚芸術というのはそれほど 社会と密接なつながりがあるのだろうか。 例えばエジプトの壁画の人物は、常の横顔で描かれているのに正面から見た眼がついている。これは 当時のひとにとって横顔の方がよく見えるが、眼は正面を向いている方がインパクトがあるからだ。 ギリシャ・ローマの彫刻に比べて、中世のイコンは退化したようにも思えるが、イコンは現実や理想を表現 するのではなく信者に正教的雰囲気にひたらせるものであるからだ。 こうしてみると、美術の様式というものは、まさに「社会の要請」が生み出したものに他ならないことが わかってくる。 「ブンガクの死」では共通する文化基盤の衰退を語ったが、美術にもその影響がある。「社会的機能」を失っ た美術は、社会が求める伝統性や共有性を表現する必要は薄れる。と、なると「社会性」→「作者個人の 独自性や非伝統性(新しさ)」を求める方向に向かう。つまり解釈はますます難しく(多様化することに)なる。 また、人間は「視覚情報」に意味を求める。例えば、上の図は何に見えるだろう?鴨にも見えるし、ウサギに も見えるはずだ。もし、人間が「あるがまま」に見ているなら、こうしたことは起こり難い。しかし、われわれ が「像」を見るとき、そこに「意味」を求めるために「あるがまま見る」ことはできなくなっている。 つまり、社会的機能が失われた現代美術は、得てして作者の独自性はあるかもしれないが解釈はしにくい。 どう解釈するのも自由なのかもしれないが、「意味」を感じることができなければ興味も湧きにくくなるのも当然 といえるだろう。 ただひとつ、ではなぜ社会性を持つ美術作品にも名作とそうでないものがあるのか。前述のゴンブリッチは 「形式と色彩を正しく妥協なく均衡させることのできる」芸術家の手によるものが美しいものだといい、そうした 天才の出現は偶然の産物だという。 たしかにあらゆる「美」の基本はバランスといってもよい。シンメトリックなものや均衡のとれているものは心地 良い。われわれはそれを感じることができるが、つくり出せるのが「芸術家」なのだろう。 ※1.「二十世紀を動かした思想家たち」 ギ・ソルマン 新潮社、から
※2.もちろん、「写真や映画といった映像技術の発達が絵画などの社会的機能を奪っていない」という説もある。 |

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にゃ〜さまみたいに理論的にはかけませんでしたが、思うところを記事にしてみました。
2008/2/3(日) 午前 0:38
☆あら、チャンと書いてくりたのね♪
(にゃんかコメ欄がチャッツ状態になってたわね☆)
2008/2/3(日) 午前 5:42
がんばりました。やっぱ写真の存在っておっきいですよ。
それまでの画家の職業奪っちゃったようなもんですからねぇ〜。
2008/2/3(日) 午後 9:44
☆さしんと映像だとナマ過ぎて物語もつくりづらいのであつた☺
2008/2/4(月) 午前 8:35
もういっこ、追記しました。
2008/2/4(月) 午後 11:22
じゃ、おけつのオブジェとかは? 美しい?
2008/2/5(火) 午前 3:02
☆どりどり☺→電マニさん
2008/2/5(火) 午前 8:29
☆君の表現が美しくにゃい☺→Dameくるくる
2008/2/5(火) 午前 8:30
↑下半身の形をしたひざまくらはありましたよね。。。おけつじゃないですけど。
2008/2/6(水) 午前 8:51
↑手の形のイスとかも・・・♪
現代日美術からは社会的機能が取り去られ、芸術家個人の内面の表現になったと。勉強になります。現代美術の意味不明さはその辺からもくるのかな〜〜〜(と自分の感性については棚上げ)
2008/2/6(水) 午後 5:24
☆ありは「美」であらうか…☺
(単なるヘチ)→電マニさん
2008/2/7(木) 午前 9:39
☆そりは慎太郎知事の家にもあつた☺
(過去の美術でもニポン人が「西洋人の眼」で見てたりもすれ)→eliさん
2008/2/7(木) 午前 9:41
へぇ・・・♪
(というのは、どういった意味でしょうか)
2008/2/7(木) 午後 4:41
☆「浮世絵」は陶磁器の包み紙とすて送られた当時のニポン人によって価値のないものだし、桂離宮もブルーノ・タウトが称揚してからニポンの美を代表すれ建築とにゃった。(根付もニポンより外国の人気から)多くの仏教美術が明治以降「美術品」とすて復活すたのも外国人の評判によれ。フェノロサが法隆寺の秘仏救世観音像を開けさせたのも「美術史」的には喜ぶべきだが、宗教的にいえば冒涜。我々はそりらを美術品とすて「鑑賞」していて「宗教の象徴」とすて礼拝すていにゃい。
つまり、今のわれわれのニポン美術をみる「眼」は、西洋人が示した「美学」のフィルターに多くをよっているのだつた…
2008/2/8(金) 午前 8:00
↑その仏像のお話は、もうほんとにま〜さ〜に〜!って思います。
ま、美術品として見てるんですけどね。
前に、国立博物館に行った時、(あすこは仏像の間がある)手を合わせてらっしゃる方が居て、「そうなんだよな〜、宗教的なモンなんだよな〜」と改めて実感したのでありました。
2008/2/8(金) 午前 9:00
お〜〜、なるほど、ありがとうございます!
逆に日本人が西洋文化から美術品を発掘(?)した例とかもあるのかな・・・変な例ですが、小さい頃初めて目にした英字新聞がデザイン的に「すんげ〜かっこ良く」感じられたもんです。
2008/2/8(金) 午前 11:38
ついていけないです。。。
へたっぴな鴨の絵にしか見えなかったです。ウサギ発見でけた〜!!うれし〜!!
2008/2/9(土) 午後 9:48
☆実は展覧会に出す仏さまは「魂を抜く」たらいふ作業をすているのであつた♪(だらか現役の仏像でも賽銭箱とかにゃい)
んが、さうやつて手を合わせる心が宗教の原点かもすれん♪→電マニさん
2008/2/10(日) 午前 10:48
☆ニポン人が西洋から「美」を発見すた例は思いつかんが、「外国」からだといわゆる「李朝陶磁器」や「朝鮮もの」を「発見」すたのはニポン人。ニポン人が西洋文物に触れる機会以降は「下から目線」だったので、西洋の美学を同時に受け入れたのだろう♪→eliさん
2008/2/10(日) 午前 10:51
☆もともと絵とかに興味がないと、詰まらんぉ話であれ☺→たぁくん
2008/2/10(日) 午前 10:53