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かつて日本は、自存自衛と東亜の解放、つまりアジアを白人の植民地支配から解放するという目的を達成するために、戦争の道を歩みました。しかし目的半ばにして日本は敗戦をしてしまいました。しかし、日本人はあきらめませんでした。インドネシアでは、敗戦後も日本に帰国せず、インドネシア人とともに独立のために命を懸けて戦いました。そして、アジア諸国はすべて白人の植民地支配から解放され、ついにアジアにも平和が訪れました。そのため、いまでもインドネシアをはじめとするアジア諸国では日本軍は英雄として称えられています。
ところが、今から数十年前の教科書には、日本が侵略者であるかのごとく記述がなされていたといいます。さらに、日本のサヨク教育者もこれ幸いとばかりに、この歪曲された歴史をそのまま日本で教育してきたのです。
アジア解放のためにインドネシアで戦った旧日本兵、総山孝雄氏は次のように語っています。
「苦しい戦争を勝ちぬくためには、住民にもいろいろ苦しい思いをさせたことは事実である。(中略)しかし南進した当時の日本人のほとんどがインドネシアを愛し、その独立を願っていたのも事実である。それを知っていたからこそ、彼らは苦しい戦いをわれわれと共に戦ってくれたのである。今になってその事実が否定されたのでは、アジア解放の使命感に燃えて南方戦線に散った多数の英霊は浮かばれない。青春時代の数年を解放戦に捧げて老いながら、今もインドネシアを愛し続けているわれわれにとって、片思いのまま死期が近づくのはやるせないことである。」
インドネシアのスハルト大統領(当時)は、この教科書歴史歪曲問題に気づき、インドネシア独立と日本人の関係について真実の歴史を調査するよう指令し、政府が動き出しました。そして、歴史歪曲の原因を分析した報告書が作られ、インドネシアで出版されました。その報告書の内容を紹介したいと思います。

歴史が歪められた7つの原因(インドネシアの報告書より)

私は自分自身の体験から、「日本人は未だかってインドネシアの敵であったことはない。それどころか、日本人とインドネシア人とはアジア解放戦を共に戦った戦友である」と信じている。日本へのいっさいの石油供給を絶とうとしたABCD包囲網を打破せねばならなかったことが日本の南進の直接の誘因であったことは事実であるが、日本人の心を最も強く駆り立てた主要な動機は永年夢みて来たアジアの解放をこの際成し遂げようとする思いであった。実際に矛をとって南進した私たち当時の若者たちは、この崇高な目的のためにこそ情熱の火を燃やし、命を捧げようとしていたのである。(総山孝雄)

原因1:極東国際軍事裁判(東京裁判)により戦勝国に都合のいいように歴史が書き換えられ、強者の論理で反論を許さなかった。

第一の原因は大戦直後の極東軍事裁判の政治的判決である。裁判官の一人であったインドのラジャビノッド・パール博士が「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦であった」と強調したにも拘らず、戦勝国たちはその意見を多数決で葬り、「日本はアジア解放などの意志は全く持たない、植民地支配を望んだ単なる侵略者である」と政治的に定義づけてしまった。連合国の軍人や国民を納得させるためには、こうしなければならなかったのであろう。
とにかく、ヨーロッパ人以外の国までをも含めて、世界中の国々の歴史は、この判決の線に沿って書かれてしまった。当時少しでも日本やドイツの善意や善行を述べることはタブーであり、永い間全く反論が許されないまま、このような歴史が世界に定着してしまったのである。
このような状態は占領下の日本で特に著しかった。厳しい占領軍の監視下にある日本人が過去の日本のことを僅かでも良く言うことは、ジャーナリストにとっても個々の文筆家にとっても、社会的な自殺を意味することであった。それ故彼らは、自分たちが例外的に善意を持った稀な日本人であったことを証明するために、自分の民族の罪を数え立てることをことさらに競争せざるをえなかった。
このような状態は平和条約が結ばれて法的には占領下でなくなった後まで続き、何も知らない戦後世代の人びとの白紙のような心を全く一方的に染めてしまった。曲げられた歴史はこうして日本でさえもほとんど定着してしまい、真実の記憶を心の中に秘めつつ公けには発言しえないでいる人びとは、老齢のために次第に死に絶えつつある。このような歴史の歪曲は、当然東南アジア諸国をも含めて世界中に定着してしまった。

原因2:日本人を敵視させるデマ情報がたびたび発生し、それに踊らされたインドネシア人が無抵抗の日本人を虐殺し、それに日本軍が自衛のため反撃する事件が起きた。しかし先にインドネシア人による攻撃があったことを報道せず、日本軍による攻撃だけが誇張して報道されていた。

終戦後のインドネシアでは、各所に日本人とインドネシア人との争乱が起こったが、その起こり方には一定のパターンがあった。すなわち、まず民衆の日本人に対する敵意をそそるようなデマ情報が流され、それによって興奮させられた青年党員が無抵抗あるいは非武装の日本人を襲って虐殺し、たまりかねた日本軍が命を守るために反撃するのが共通の経過であった。その最大の事例は中部ジャワのスマラン事件と北部スマトラのテビン事件である。
デマを流したのが誰であるかにはもちろん確証はないが、中部ジャワでは、日本人に支援されて来た民族主義者による独立を嫌い、ソ運式の社会主義革命でなければならないとする共産党であると信じられている。
北部スマトラでデマを流したのは、オランダの特務機関の謀略員であると当時はもっぱら信じられていたが、今になってその酷似した起こり方を見ると、ジャワから潜入した共産党の過激分子であったかも知れない。
いずれにしろこのような争乱が日イ間に起こると、人情の常としてインドネシアでは、日本軍がインドネシア人を攻撃したということだけが、国内に広くしかも誇張して伝えられ、最初の原因であったインドネシアの青年党員による日本人の虐殺はほとんど伝えられなかった。このために、「日本人は独立を妨げる敵である」とする誤った先入観が、何も知らないインドネシアの大衆の心に植えつけられてしまった。これは返すがえすも残念なことであった。このような先入観は、「日本人にはもともとインドネシアを独立させる心算など毛頭なく、いろいろな調子のよい約束はすべて偽りだったのだ」という推論を呼んでしまった。
このような推論された仮説は連合国によって大いに歓迎され、極東軍事裁判の政治目的で曲げられた判決によって裏打ちされることになった。連合国の大部分の歴史家たちは、当然の成り行きとして、その仮説の立証を競った。そしてその記述は、これを学んだ戦後派のインドネシアや日本の歴史家にも影響した。

原因3:敗戦後、日本軍がインドネシア人の独立を援助することは連合国から禁止されていたため、抵抗する日本軍から無理やり武器をインドネシア人が奪ったかのような芝居をして、日本軍は武器援助をした。しかし芝居の方が公式記録とされた。

敗戦降服した時日本人は、戦犯の脅威の下に、インドネシアの独立を援助したり武器を与えたりすることを連合軍から厳禁されてしまった。そのために日本人がインドネシア人に武器を与える際には、何らかの抵抗をするかのごとく装い、連合軍に対しては必死に抵抗したけれども奪われてしまったのだと報告し、これが公式記録として残ってしまった。他方インドネシア人の方でも、恩義ある日本人が戦犯に問われることを避けるために、その武器はインドネシア人が力で奪ったのだとことさらに新聞に書き立てた。こうして両方の記録がぴたりと符号したので、この説明が完全に正確であるように思われたのは至極当然であるけれども、真実とはまるで違っていたのである。
例えば、インドネシア独立運動の指導者ムナジ将軍やサムシ博士がマゲタン刑務所に収容されていた柴田海軍中将を訪れ、「インドネシア人が独立戦争を発足しえたのは、日本軍がスラバヤで大量の武器をインドネシア人に与えてくれたお蔭である」と涙を流して感謝したという事実は、ごく最近まで永い間闇の中に葬られたままいずこにも報道されなかった。こうして日本人がひそかに善意を以てインドネシア人に武器を与えたことは、公式の記録には表しようがなかったのである。

次回へつづく



閉じる コメント(13)

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お久し振りです、すごく 分かりやすいですね こういうことは 殆ど 報道されていませんからね、許可頂ければ 転載したいと思います。 よろしくです、これからも 頑張って下さいね、あまり これませんけれど・・・ゴメン 結構 忙しい

2006/1/19(木) 午後 6:28 [ 建築や ]

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こういう日本人を世界はお人よしと呼ぶのだろうか・・・。現代人にも受け継がれたし。と強く願うのは時代錯誤か。

2006/1/20(金) 午前 1:38 domani07

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htkmさん、ありがとうございます。お役に立てるのでしたらどうぞご自由に転載してください。

2006/1/21(土) 午前 8:18 nyan

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domaniさん、敗戦により「自存自衛」が不可能になっても、もう一つの目的である「東亜の解放」を実現しようとは、昔の日本人には並々ならぬアジアへの思いがあったと思われます。他国の自由と平和のために「日本の名誉」のみならず自らの「命」まで懸けようというのですから、まさに崇高な精神をもつ人々です。犠牲になった方々は「英霊」と呼ばれるにふさわしいと思います。

2006/1/21(土) 午前 8:18 nyan

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こういった事実はより多くの人に知ってもらわねばなりませんね。私のブログにも転載させていただきます。

2006/1/21(土) 午前 10:59 [ 誠(もしくは団長) ]

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dyna_flashさん、いつもありがとうございます。

2006/1/22(日) 午前 11:23 nyan

どうして日本はいつも貧乏くじみたいになるのでしょうか?悲しいです。。今後の為にももうお人よしは行けません。ちゃんと周りに正しく伝わらなければ戦った意味がないと思います。と言っても当時はそれがむずかしいかったのでしょうね。。

2006/1/26(木) 午前 4:09 maririn7ny

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事実を知っているアジア人は日本軍を高く評価しています。問題なのは、事実を知らない人が歪曲して解釈していることです。歴史事実から目をそむけて思考停止する人が多いですが、後世の人々が歴史を多角的に正しく見なくてはならないと思います。

2006/1/27(金) 午前 0:07 nyan

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にゃんさんへ インドネシア独立に参加した旧日本軍人の話は映画「ムルデカ」でも、紹介されていますが、実際、インドネシア独立に関して、このような複雑ないきさつがあったとは、知りませんでした。歴史の真実は、なかなか正確に伝わらないものですね。インドネシア独立に協力した日本人の功績をたたえたいと思います。ミケ

2006/8/31(木) 午後 10:43 yan*na*tya*yo

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にゃんさんへ 私のブログにもぜひ、転載させて下さい。よろしくお願い致します。ミケ

2006/8/31(木) 午後 10:45 yan*na*tya*yo

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mikeさん、ありがとうございます。インドネシアをはじめアジアの各国で戦った当時の日本軍人の考えを聞くと、本当にすばらしい人たちだということが理解できます。彼らは命をかけて、アジアの人たちを守ることを理想としていました。だからこそ、戦争で亡くなった多くの人々への思いも強いものがあります。彼らの志の高さが、今の日本の平和を築き上げたと思います。

2006/9/1(金) 午後 11:43 nyan

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>>インドネシアのスハルト大統領(当時)は、この教科書歴史歪曲問題に気づき、インドネシア独立と日本人の関係について真実の歴史を調査するよう指令し、政府が動き出しました。そして、歴史歪曲の原因を分析した報告書が作られ、インドネシアで出版されました。その報告書の内容を紹介したいと思います。

昔の記事へのコメントで失礼します。上の「歴史歪曲の原因を分析した報告書」(インドネシアで出版)の内容を知りたいです。日本語訳はあるんでしょうか?

2008/6/13(金) 午前 8:30 [ Wan ]

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すみません。誤解していました。

この記事と次の記事に掲載されている「歴史が歪められた7つの原因(インドネシアの報告書より)」というのが、「インドネシアのスハルト大統領(当時)指示により作成された報告書」の日本語訳といことだったのですね?

しかし、この文面は「インドネシアの独立と日本人の心」(総山孝雄 著/展転社 1992年)p.133-144の抜粋(というかほぼ完全な転載に近い)ですよね? これはインドネシアで出版されたものの日本語訳らしいのですけど(同書前書きによる)、「インドネシアのスハルト大統領(当時)指示により作成された報告書」があれば、それを読みたいのです。

2008/6/15(日) 午前 5:17 [ Wan ]

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