原因4:インドネシア人のプライドのために、日本の名誉とひきかえに、日本と無関係を装いインドネシア人が自ら独立を勝ち取ったということを強調した。
| インドネシアの蘭領東印度時代の副総督H・J・ファン・モーク博士は、戦後インドネシアヘ帰来して、「スカルノ独立政府は日本製の独裁国家である」と宣伝した。これはインドネシアの国民をスカルノ政府から離反させようとするとともに、世界の各国にインドネシアの独立を支持させないようにすることをねらったものである。 |
| この宣伝を反証するために、インドネシア人も日本人もお互いにことさらに無関係を装わねばならなかった。インドネシアが誰からも助けられないで自力で独立したと主張することは、インドネシア民衆のプライドのためにも好都合であったし、民衆のナショナリズムを昂揚するためにも必要であったので、この考えは繰返し強調されるうちに無条件の真実であるかのように錯覚されてしまった。 |
| これを要するに、基本的にはインドネシア人がかれら自身の民族主義的な力と努力によって独立を克ちとったことは事実である。しかし日本人の戦中戦後の援助が大いに有効であったことも否定しえないのであるが、これは闇に伏せられてしまった。こうして日本人の名誉が犠牲にされながらも、とにかくインドネシアをはじめアジアの各国が独立して今日の状態まで興隆しえたことを、私たちは心から喜んでいる。しかし同時にまた、そろそろ日本人の名誉を回復しても差支えない時期が来たように思うがどうであろうか。 |
原因5:戦況が悪化するに伴い民衆の暮らしも悪化し不満が募った。
| 戦後多くの日本人が競って書き立てたように、日本軍の占領下でインドネシアの人びとが多くの苦痛を味わったことは事実である。占領当初のしばらくは、彼らは幸福の絶頂にあった。彼らの明るい笑顔は限りなく私たちを勇気づけてくれた。しかし戦勢が逆転して日本が劣勢になってからは、海上輸送が封鎖されて生活物資が涸渇し、住民は激しいインフレに悩まされた。防衛のために日本人と同じように激しい努力を強いられたことは、植民地支配下の怠惰な生活に慣れ切っていた彼らにとっては辛かったに違いない。 |
| 末期になると連合国は海岸から拉致したインドネシア青年を濠州の学校でスパイに養成し潜水艦で送って来たので、利にさとい華僑や一部の住民の間に通敵分子が現われはじめた。そのために日本軍の憲兵は極端に神経質になってこれを摘発したから、冤罪のために拷問にかけられたり殺されたりしたものもありそうである。従って日本軍が断末魔の苦闘に追いこまれた末期の住民の生活は、オランダ支配の平和だった頃よりもひどかったに違いない。しかしインドネシア人の中に親しい友人がたくさんあってフランクに話しあっていた私は、大多数のインドネシア人は苦しさをかこちながらも、アジア解放戦を勝ち技くための止むをえない苦しさであることを理解し、協力してくれていることを実感していた。 |
| だから戦後派の日本人が現地を訪れて戦争を体験した老人層に会い、彼らの恨み言を引き出そうとして日本軍の罪を算えたてると、彼らは一様に「戦争だったから」仕方がなかったと答えていっこうに恨み言を言わないのである。私白身も当時の住民の苦しさをよく知っていたので、日本が降伏した時には気の荒いアチエ人が暴動を起こすのではないかと心配した。しかしそのようなことは全く起こらず、彼らは日本人とともに涙を流して日本の敗戦を悲しみ、われわれに同情してくれた。 |
| そして連合軍が進駐してそれに対するゲリラ戦が始まるまでは、日本人は夜一人歩きしても全く危険はなかった。戦争をみずから体験した老人層の大部分は、今でもそのような感慨を持ち続けているようである。 |
| しかし、このような事情を無視して戦争末期の苦しかったことや悪かっかことだけを挙げつらえば、日本軍政は悪の塊りになる外はない。が、実際にはインドネシア人は彼ら自身の解放のために、日本人とともに苦しさに耐えてアジア解放戦を戦い、日本が敗戦降服した後にその苦しい努力を独りで続けて独立を達成したのである。 |
原因6:敗戦した日本から賠償金の名目でお金を引き出すためには、日本を侵略者と定義する必要があった。またそう定義づけることが戦勝国に喜ばれた。
| なお、これは少し穿ちすぎた考え方かも知れないが、日本人の戦友であったインドネシア人が殊更に日本の占領による被害を強調した裏には、賠償の問題もあったのではなかろうか。東京裁判で日本人のアジア解放の意図を否認し、日本の南進を単なる邪悪な侵略であると定義した勝者の連合国は、日本に協力して戦っていたインドネシアをも彼らの側に加え、勝者の一員として日本に賠償を請求することを奨めた。独立したばかりでこれから経済建設を考えねばならなかったインドネシアにとって、日本からの賠償が大きな魅力であったことは否めまい。 |
| 賠償を取るためには日本を侵略者だと定義せざるをえない。賠償を多くとるためにはその被害を強調せざるをえない。いくら被害を強調しても、敗戦して平れ伏している日本人からの反論はありえないし、世界を牛耳っている戦勝国には大いに喜ばれる。 |
| 当時の国際情勢下では、日本を弁護することは絶対のタブーであった。当時のインドネシアの為政者たちが日本への非難を競ったのは、インドネシアの国益に添う止むをえない政策であった。 |
| しかしながら、たとえこのような止むをえない歪曲であったにしても、それが公文書に書かれ、教科書に書かれ、口に言われて繰返されていると、いつの間にかそれが真実のように響きはじめるのが社会心理学の通則である。このような推理は私の大切な兄弟であるインドネシア人に対して甚だ失礼な勘繰りではあるが、その可能性を全く否定することもできないように思われる。 |
原因7:日本人の中に、過去の同朋を非難することによって、自分だけ善人になりすまそうとする卑屈な態度をとる者が多くいた。
| このような歴史の歪曲された定義の残存には、日本人自身にも重要な責任がある。これを正すためには、日本人自身がまずその態度を改めねばならない。過去の同胞が祖国のためアジアのために命がけでやった行為を悉く非難することによって、自分だけが善人になりすまそうとするような、敗戦直後の外国の軍隊占領下で生じたような卑屈な態度は、もうそろそろ改めるべきではなかろうか。 |
| 日本人がやたらに謝ると、そう思っていなかった者までがやっぱりそうかと思ってしまう。経済援助をしたり留学生の世話をしたりしても、謝りながらやれば悪い事をしたのだから当然のことと馬鹿にされてしまう。インドネシア人以外の国々でも、謝れば謝るほど相手は非難と要求をつのらせているのが現状である。 |
| 私自身アジア解放の情熱に燃えて南方の戦線に立ち、今もインドネシアに多くの親友を持つ者として、私は当時の日本人の大部分の善意を確信してインドネシア人に接している。日本軍のインドネシア占領史を研究するために日本の上智大学に留学したインドネシアのある大学院学生は、こんなことを言っていた。 |
| 「私が研究テーマとして日本人に日本軍政史に関する意見を聞くとやたらに謝る人ばかりが多くてがっかりする。私はそんな話を聞くためにわざわざ日本へ留学したのではない。私は日本人の主張を聞きに来たのだ」と。 |
| 今地球上ではいろいろな事が起こっている。いつまでも日本人であることを卑下し、諸外国の顔色だけを窺って右往左往するのはもう止めにしたい。戦争とはお互いに相手国を攻撃して殺戮や破壊を与えるものであって、それを罪だとすれば罪人は敗者だけではない。戦中の行為に関して非難したいことは双方にあり、謝罪しなければならないとすればそれは双方の問題である。戦争には勝者と敗者とを生じ、敗者が賠償を払わされるのは止むをえない。しかしそうして平和条約が結ばれたら以後はすべてを清算して対等に戻るべきである。 |
| 戦後すでに半世紀を経て、日本がこれだけの国力を備えたからには、世界の平和と正義とに責任を特つ指導的な国々のーつとして、未来へ向って主導的な発言と努力をするのが、われわれの世界人類への責務ではなかろうか。 |
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