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マレーシア独立

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イギリス植民地支配に苦しんでいたマレー人には、ジョヨボヨの伝説が伝承されていた。

5、神兵、東方より来る

1941年(昭和16年)12月8日のことである。その日も熱帯の射るような陽が緑に映えて、美しい朝だった。
いつも八時からはクアラルンプールにあるイギリス植民地政府のラジオのニュースの時間であった。ニュースが始まると、すぐに、アナウンサーは興奮気味に『日本軍が、本日未明、ケランタン州コタバルに上陸中であり、わが英軍はこれを邀撃して敵に大きな損害を与えつつある』と放送した。そしてつづけて『日本軍はタイ領シンゴラとパタニにも上陸してマラヤ国境へ向かいつつある』とも報じた。
ノンチック少年は、一瞬、身の毛がよだつような興奮と緊張に立ちすくんでいたが、急いで父ラジャー・イシャックの部屋へとんでいった。
「とうとう日本軍が来たね」
少年はよろこびと興奮を隠しきれず、父にささやいた。そうしている間にも、胸がジーンとしてきて、体のふるえが伝わってくる。
父もあきらかに驚きと緊張の顔をしていたが、「シー」と口に指を当てた。父以外には、このよろこびを言うことは危険なのである。
このセランゴール州は、イギリス植民地政府があるマレーの首都クアラルンプールを中心にした地域であり、植民地政府と英軍は、マレー人の動向、特にその藩王(サルタン)や王族に対して、監視と警戒を厳しくしていたからである。
12月8日未明、マレー半島の東海岸(南シナ海)に上陸した日本軍は、イギリスがアジア植民地支配の牙城として難攻不落の要塞を誇ったシンガポールヘ向けて、マレー半島約一千キロの縦断進撃を開始した。
この日、日本軍のマラヤ進攻のラジオニュースを聴き、興奮と歓喜の眼を輝かせた多数のマレー人の中に三人の若者がいた。
アプドラー・カミール・スラジッド(22歳)。カミールは、民族派を代表していたワルタ・マラヤ新聞社の記者であり、植民地政府から反体制の過激団体としてマークされていたマラヤ青年連盟の活動家であった。
アブドル・マジッド(19歳)。マジッドは、カミールの活動を声援し、乏しい稼ぎの中から活動資金のカンパを惜しまない純情な若者たった。
ラジャー・ノンチック(16歳)。ノンチックは、マラヤ青年連盟が掲げる先鋭的な革新思想の民族運動に対しては、自身がセランゴール州サルタン王族の一員であり、必ずしも賛同していなかったが、友人力ミールの熟誠には大きな共感を抱いていた。
そして先祖以来のマラヤの王族の一人として受け継いだ誇り高い血脈が、十六世紀以来、ヨーロッパ勢力に支配されたマラヤの歴史と現状を黙視できない熱血となり、若いノンチックの心をゆさぶりつづけてきた。
マレーに伝承されてきたジョヨボヨの伝説がいま、現実のものとなろうとしている。ノンチック少年が、興奮とともに血潮のわきたつような強い感動のうちに、日本軍の進撃と勝利を期待したのは当然であった。しかし、この感動を面に表すことができない12月8日の朝であった。

つづく

■次回記事
準備中


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前回予告した通り、ノンチック氏の半生記から、マレーシア独立の「真実の物語」を数回にわけて紹介したいと思います。(表現は可能な限り半生記の記述のままにしてあります)

1、マレーシア植民地の歴史

マレーシアは、ポルトガルの占領から日本軍の上陸までの間、430年にわたる西欧の植民地支配に苦しんでいた。
1400年 マラッカ王国成立
1511年 ポルトガルがマラッカを占領
1641年 オランダがマラッカを占領
1795年 イギリスがマラッカを占領
1824年 英蘭協定によりマレー半島はイギリス勢力下に入る
1826年 イギリス領海峡植民地成立
1896年 イギリス領マラヤ成立
1941年 日本軍、マレー半島のコタバルに上陸


2、イギリスの植民地支配

イギリスの植民地として、マラヤは搾取と強権支配を受けていた。マラヤは三つに分断され、海峡植民地シンガポールにイギリス総督が常駐して直接統治していた。イギリスは錫(すず)、天然ゴム、コプラ(ヤシ油)、香辛料などの原産品の開発、収奪を行っていた。マレー人は産業職場から遠ざけて、僻地へ閉塞させていた。他の欧米の植民地と同様、現地住人は家畜同然の扱いであった。
イギリス人は、マレー支配のため移入民族の華僑(中国人)とインド人を奴隷的に使役していた。華僑はイギリスの代理人となってマレー人を搾取支配していた。イギリス人は、インドとビルマの植民地支配で成功した人種分割統治をマラヤに持ち込んだのである。
現在、マレーシアが国家的な苦悩としている多民族国家社会の悩みは、このイギリスによる植民地政策が唯一の原因である。イギリスがマレーシアに遺した最悪の大きな遺産であるといえるだろう。


このように強権支配されていたマレー人には、彼らを救うであろう2つの神話が伝承されていた。


3、ミナンカバウの伝説

「遥かなる昔、スマトラのインド洋岸の集落パダンに近い、ミナンカバウのスグンタン丘へ、一人の若き王子が天から降臨した。この地には、パダンの少女を毎年奪い喰らい、住民の恐怖の的であった大蛇シクツムノが蟠踞(ばんきょ)していた。若き王子はその大蛇を退治し、その尻尾から出た剣をもって、スマトラとマラヤの地に繁栄のマラヤ王国を築いた」
ラジャー・ノンチックの一族こそは、この若き王子の後裔なのである。いずれの日にかは、今、のしかかっている巨人の大蛇(イギリス人)を退治しなければならなかった。
1904年、日露戦争が勃発。日本海海戦において東郷平八郎率いる日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させる。有色人種が白人に勝利したこの戦いは世界中を震撼させ、有色人種蔑視観を覆した。植民地にされていた国の民族には独立の希望を与えた。東南アジアでは、もう一つ伝承されていた神話、ジョヨボヨの伝説が現実になる日が近いと期待が膨らんだのである。

4、ジョヨボヨの伝説

「マレー人を苦しめる白い悪魔を、東からき来た黄色い軍神が打ち破り、玉蜀黍(ジャゴン)の花が咲くまでの短い期間だけこの地にとどまり、やがて東へ引き揚げるが、そのあとに平和なマレー人の国が建設される」
広くマレー島嶼全域(現在のマレーシア・インドネシア・フィリピン)に伝承された有名な神話である。
そして、伝説は現実となった・・・
1941年、とうとう東から神兵が来たのである。この東方から来た神兵は、邪悪な侵略者イギリスやオランダを追い払ってくれるだろうと、この時多くのマレー人は前途に大きな希望の炬を感じたのである。

つづく



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日本人よありがとう 3

1982年 ASCOJA大会
マラヤ大学大講堂で、ノンチックさんは政府要員及び500人の青年学徒たちを前に次のように演説しました。
「我々が今、この独立の自由を獲得できたのは、実に日本のお蔭である。我々はこれを忘れてはならね。同時に敗戦から立ち上がった日本に学ぶのはいいが、過度に依存してはならぬ。それが独立というものだ」
と、諄々と説き、更に声高く、次のように結びました。
「『大東亜共栄圏』の理想は決して間違いではない。今もそれは生きている」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

1988年のラマダン期間中に、土生良樹さんはノンチックさんからマレーシア独立について詳細な話を聞きました。
土生さん曰く、それは「まさに胸おどり、魂のふるえる、壮絶雄渾な波乱万丈の真実の物語だったのです。」

この真実の物語について、次回記事にします。





日本人よありがとう 2

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この頃の日本の若い人たちはどうかしてしまったのでしょうね。自分たちの父や祖父たちが、命をかけ、血と汗を流して、ともに興したアジアのことを少しも知ろうとしませんね。

私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”というこころを目醒めさせてくれたのです。
 
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。

私もあの時にマラヤの一少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた一人です。私は、今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史を知ってもらいたいと思っているのです。

先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。

どうしてこのように今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残念なことです。

ハジ・ハブさん。あなたが取材された私の人生の記録、私と一緒に戦った友人たちの真実の姿を、ぜひ日本語で書きつづってください。そしてできれば、現在の日本人たちに読んでもらってほしいのです。ぜひ、このことを、あなたにお願いしたい。

私が、今、お世話になった日本と日本人に、何かお返しすることができるとすれば、このことが残されていました。これは神(アッラー)にかけて、私の心からの願いです。


マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック
(クアラルンプールの邸にて)

日本人よありがとう

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かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも 
自分のことのように 一生懸命つくしてくれた


何千万人もの 人のなかには
少しは 変な人もいたし 
おこりんぼや わがままな人もいた 
自分の考えを おしつけて
いばってばかりいる人だって 
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は 
そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ちて明るかった
 

戦後の日本人は 
自分たち日本人のことを 悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから 
まじめに 自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら 
ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと 
言えばよいと思っている


そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら 
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っている私たちは
今は いつも 歯がゆくて 
くやしい思いがする


自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は 
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを 
さげすんだ眼でみたり バカにしたりする

こんな ひとたちと 
本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして 
どうして日本人は 
こんなになってしまったんだ



マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック

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