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大韓貿易投資振興公社(KOTRA)は14日、日本の通信販売大手ジャパネットたかたと業務協力了解覚書(MOU)を締結したと明らかにした。KOTRAが紹介する優れた韓国製品を、ジャパネットたかたがテレビ、ラジオ、インターネット通販で販売する。(6月14日 聯合ニュース)より一部抜粋 http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/06/14/0400000000AJP20100614001400882.HTML
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http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=72242&servcode=300§code=300 / ̄ ̄'' -、 ( / ) ヽ ジャ〜パネット 〜 ジャパネット 〜 夢のジャパネットたかた〜♪ i r-,,,, /,,,) ( >| ● ●// `‐| U /ノ > 韓国製品の返品・クレームは一切受け付けません^^ \ ━ / ((Οっ V> > 初期不良は当たり前、もちろん修理もお客様負担です! \ 'oヽ |,,,,,,∧| / ∧ \ / / ヽ ヽ ト-< |_/'.'.┐
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朝鮮半島問題
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またまた、正論4月号、「歴史を歪める日韓左派学者の幻想と虚構」 筑波大学教授 古田博司 より、日韓歴史共同研究でのエピソードを紹介します。
第一期の近現代史班では、 日本側「嘘つくんじゃない。史料見なさい。日本も悪かったが、嘘つくあんたたちはもっと悪い!」 韓国側「エージョンイラン・イッソヤジ(愛情というものがなくちゃならんだろ)!」 などという怒声がこだましていたが、最終全体会議とレセプションで李萬烈代表幹事が、「自国文化を愛する環境の中で学問的な素養を育んだ学者までもが、他国の歴史に対してなぜこう了見が狭いのか不思議でならなかった」「韓国史研究が韓国に対する温かい愛情を前提としなければならないことを強調したい」(日韓文化交流基金PDF参照)と述べたため、日本側のほとんどの委員が心底あきれて終わった。会議後、三谷太一郎座長から、なぜ彼らは最後にあんなことを言うのかとの下問があったので、筆者は、「彼らは引っ越しで家を出るときに徹底汚して去る。それでしょう」と答えたことを記憶している。 なんで、歴史の研究で「了見が狭い」だの「愛情がない」だの言われなきゃならないのでしょう?
歴史の研究にそんなものが必要か?史料の収集と徹底した史料批判が必要なのではないのか?
この李なる人は、日本側から資料を収集して編纂することに力点を置くべきと言われて、何故そうしなければならないのか理解できなかったようです。
こんなんだから、韓国の研究レベルは低いと言われるのだ。
第二期の韓国側の教科書班委員は、4,5冊、多くても10冊程度の教科書しか読んでこなかったそうです。
「彼らは真摯さの点でも問題がある」そうです。
100万歩譲って、歴史の研究に愛情が必要だとしよう。ならば、韓国側は日本にj愛情を持って研究しているのか?とてもそう思えない。遅れた日本に朝鮮が文化を教えてやったとか、日本の悪口ばかりじゃないか。
韓国の歪んだ歴史からは日本への愛情など微塵も感じられない。
自分たちだけ愛情をかけて欲しいなどと、勝手なことを言うな。
古田教授は、このようなことを言っています。
その文化民族を誇る彼らに文化的要素が見られない。あるならば教えてほしいと思う。筆者は三十五年間、朝鮮研究をやってしまったが、晩年となり韓国に読むべき古典や近代文学がなく、現在、脾肉の嘆をかこっている。
朝鮮研究などやるもんじゃないということでしょうか?
この李某の発言を日韓文化交流基金PDF(http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=131&agent=&partner=livedoor&name=%C6%FC%B4%DA%CA%B8%B2%BD%B8%F2%CE%AE%B4%F0%B6%E2&lang=euc&prop=500&bypass=2&dispconfig=)で読んでみました。
長いので、最後の方の李の発言だけ読みましたが、なんでも日本のせいにして酷いものです。
日韓歴史共同研究だけじゃなく、日韓文化交流もやめちゃえ。
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正論4月号、「歴史を歪める日韓左派学者の幻想と虚構」 筑波大学教授 古田博司 より、韓国の歴史教科書を引き続き紹介します。
教科書の発行年に注目してください。
(一)戦争は日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた。かくして朝鮮は中国の支配を脱して、独立し、大韓と呼ばれた(一八九七)。(曹佐鎬著 『中等世界史』 英志文化社、一九五九年)
(二)朝鮮は再び侵略を受け(丙子胡乱)、半属国になってしまった(一六三七)。(金聲近著 『高等世界史』 高等学校二、三年用、教友社、一九六二年)
(三)以後日本は朝鮮の外交権を強奪し、軍隊を解散させ朝鮮は名目上の独立国としては転落し、ついに一九一〇年には主権さえ奪われ日本の植民地になった。(李ミンホ・申スンハ著 『高等学校世界史』 大韓出版社、一九八四年)
(四)日本は(中略)江華島条約を強要し朝鮮を開港させた後に、日本人の治外法権と関税撤廃などの許諾を得た。(中略)そしてその余勢を駆って朝鮮の主権さえ奪い、大陸侵略の基地とみなした。(呉グムソン他四名著 『高等学校 世界史』 金星出版社 二〇〇三年初版、二〇〇七年五版)
(五)サムエル・ハンチントンは彼の著書『文明の衝突』で、わが国を中国の文明に包含させている。外国人の目には、わが国の文化が中国とあまり差異なく見えるようだ。わが国と中国の文化はどの点が類似し、どの点に差があるのか?(金ウンスク他四名著 『高等学校 世界史』 教学社、二〇〇三年初版、二〇〇七年五版)
この記述に対する古田教授の解説は以下の通りです。
韓国では、一九六〇年代までは、朝鮮は清の半属国であり、日清戦争により朝鮮の独立が認められたという認識が普通だった。ところが、七〇年代のナショナリズムの高揚期を経て、八〇年代には、もともと名目上独立国だったということになり、二〇〇〇年代にはいると侵略者であるはずの日本が朝鮮の許しを得て治外法権と関税自主権を得たというようになった。そしてついに自分たちが何処の文明圏に属していたのかさえ良く分からなくなった。
(太字部分、引用元は太字ではありませんが、かなり笑える)
まともな記述だったのが、どんどんおかしくなっていってますね。
いくらナショナリズムの高揚があったとはいえ、歴史をこうも変えてしまうのは普通では考えられないと思うのですが、韓国人にとっては当たり前なのですね。
歴史とは、自分たちが満足できるようなものにコロコロ変えられるものという認識なのですね。
そして、都合の悪いことは全部日本のせいにしてしまう。
そういう認識なら、自国内だけで満足してればいいのに、その歪んだ歴史観を日本に強要するな。
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正論4月号に、韓国の歴史教科書の記述が紹介されています。
面白いので、
「歴史を歪める日韓左派学者の幻想と虚構」筑波大学教授 古田博司 より太字の部分もそのまんま引用します。
(一)倭族は大概東北アジア系統の族属と南洋族そしてアイヌ族の雑種だった。彼らは一時代には今日の九州と本州西部にかけて部落諸国家を成していた。彼らのなかで特に大陸に近い部落に住む倭人は三韓から文物を受け入れ、再びわが三国時代に至り、倭人は主に百済を通じ漢字と仏教と各種技術の同文物を受け入れた。
(二)漢の武帝が中国東北地方から朝鮮半島北部にわたって建てた漢の四郡はわが国の一部ではあるが、この異民族が統治したという点で確実に望ましいことではなかった。しかしわが祖先たちはこの試練の時期を通じ、わが民族の団結力をかため、彼らが持っていた社会秩序と科学技術をはじめとする各種文化に接し跳躍の足がかりとみなした。
(三)わが国の中国文物輸入において、受動的な側面を止揚し、能動的な側面を強調すること望ましい。すなわち、儒教・仏教の伝来と仏教美術の発達、管制の受容と制度のわが国化など、すべてをわが実情に合わせて変形した次に、これを再び日本にあたえた事実に注目する必要がある。
(四)このような唐の統治制度はこの後中国歴代の王朝の模範となったのみならず、わが国をはじめとする東アジア諸国に大きな影響を及ぼした。(中略)新羅と渤海は先進的な唐の文化を積極的に受容し、中国、日本とともに東アジア文化を形成することになった。
この記述に対する古田教授の解説は以下の通りです。
通底する歴史観をまとめておけば、「韓国の歴史が漢四郡の異民族統治から始まること、中国の文物を輸入して国造りをしたという受動的な側面は思考停止し、まずは遅れた日本にそれを変形し、あたえてやったという能動的な側面を強調し、わが国を中心とする東アジア文化圏が形成されたということを知らしめる」ということになろうかと思われる。元より無理のある歴史観であろう。
いくら大した文化や歴史がないからといって、こんな嘘をつくなんて、なんだか可哀想ですね。
何が何でも日本より勝っていたことにしないと気が済まないこの心理は、小中華思想ゆえでしょうか。
この他にも面白い記述がありますが、長くなるので、別の日に紹介したいと思います。
また、古田教授は、日韓歴史共同研究に関わっていて、そのエピソードも面白いので、紹介したいと思います。
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対馬が、韓国人に大迷惑していることは、多くの日本人が知っていることと思いますが、ここまで酷いとは。 「正論」4月号の、カメラマン・宮嶋茂樹さんの取材記事を読んで唖然となりました。 円高ウォン安で、韓国人観光客は減少したそうですが、それでも凄かったようです。 □内は引用部分 (前略) 何ちゅうてもこの四日間、朝鮮人観光客のご一行様が続々といらっしゃるのである。皆サマはバスも使わず、厳原の町中を練り歩かれる。港から昼食、宿までこの調子である。それにしても皆サマ、何で道幅いっぱいに歩かれるのであろう。一応、車道でもあるんやけど・・・。 対馬での韓国人観光客の行動 ・百円ショップなのに、レジの姉ちゃんを集団で取り囲んで値切る。 ・店に飲み物、食い物を持ち込む。 ・持ち込むものは、対馬で買わず、釜山から持ち込む。 ・民宿にも食事を持ち込み、コーヒーまで持ち込み、使うのはタダの水とお湯のみ。 ・スーパーの陳列棚のお菓子の袋を、レジを通る前に開け、食う。 ・お菓子が口に合わないと、そのまま陳列棚に戻す。 対馬に来るなら、対馬に金落とせよ。 韓国資本のホテル、「対馬リゾート」には、怒りさえ覚えます。 このホテルのどこかに豊臣秀吉の「千成瓢箪」があるらしい。 「千成瓢箪」とは、朝鮮出兵の際、秀吉の代理の誰かが半島に持ち込み、それが「侵略」のシンボルとして釜山に展示されていたもので、それが、対馬リゾートホテルに移されたのだそうです。 朝鮮人にとって「侵略」のシンボルが釜山から対馬に移された意味は大きい。対馬に朝鮮侵略のシンボルがあるイコール対馬は韓国領であるというのと同じなのである。 でも、宮嶋さん、「千成瓢箪」見つけられなかったそうなので、ただの噂なのかもしれません。 しかし、このホテル、韓国人しか入れないようです。 日本の土地で経営させてもらってるくせに、日本人を入れないとはどういうことだ? 行幸の碑まで奪うんか (前略) 一方、辛うじて海から拝見できたのは、畏れ多くも天皇皇后両陛下がこの地を訪れた行幸の碑と、その隣の不釣り合いな半島式八角堂であった。 誰が考えたか知らんが、実に反日的な設計である。外から、天皇陛下の面影が見えんように、半島式の建造物で取り囲んでしもうたのである。畏れ多くもこの碑は、朝鮮人のどんちゃん騒ぎで安らぐ時もないであろう。 しかし、この対馬リゾートは韓国資本とはいえ、一応ホテルである。通りがかりの旅行客がお茶しに入ってもいい半公共の施設のハズである。しかししかし、ゲートは閉まったまんまで韓国人観光客が出入りする時しか開けんのである。中じゃあ、行幸の碑はすでに泥クツの跡だらけ、下手したら落書き、壊されとるかも知れん・・・と日本人の疑心暗鬼が強まるのにビビった朝鮮人支配人が、TV番組で「この碑を見たい日本人なら見せてあげてもいいスミダ」と認めるまで至ったのである。 でも、入らせてもらえなかったそうです。 「日本人の飛び込み客やが泊めてくれ」と申し込んだ。お客様である。当然、下へも置かぬ扱いやろうと思っていたが、支配人らしき朝鮮人が出てきて、こう申し渡された。 「基本的に送迎の都合があるので、二十人以上の団体しか受け入れられないハセヨ。それにうちは旅行代理店を通じてお客を受け入れているスミダ」 けったいである。わざわざ飛び込んだのに、送迎の都合も何もないやろ。空室があるのはミエミエである。だったら日本人だろうが韓国人だろうが一人でも客を受け入れた方が得やないか。それぐらい、同宿したら日本人にとっても韓国人団体客にとってもよっぽど不愉快なことが起こるということなんか。 かように日本人が自由に立ち入れんホテルに、行幸の碑はあるのである。 結局、宮嶋さんは、漁師さんに頼みこんで船を出してもらい、海から行幸の碑を見たそうです。 碑は、無事だったそうです。 日本の土地にある、天皇皇后両陛下の行幸の碑を、日本人が自由に見れず、わざわざ海に出ないと見れないって、どういうことよ!? 行幸の碑がある土地を狙って買っただろう。 自衛隊の基地に接してるし、わざとその土地選んで買っただろ。 売る方も売る方だ。 本当に、対馬乗っ取られるぞ。政治家、何やってるんだ。
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