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大掃除です。
12月に入ってから週末に少しずつ進めてはいましたが、昨日今日で総仕上げです。 今日は夫と2人で洗濯機や冷蔵庫も移動させて床を拭き上げました。すごいホコリでした。 去年は12月中旬に義父が突然入院。 27日に亡くなり29日に葬儀でしたので大掃除は殆どできませんでした。 年末でなくても大掃除はできたはずなのに、やはりダメですね〜。結局2年ぶりの大掃除となったのです。ホコリも多いはずです(^_^;) 今年は特に、物置や引き出しの中も念入りにチェックして断捨離を心がけました。 すると引き出しの奥の方に何やらファィルに挟んだ書類が… ??と思って見ると次男の高校生の時の成績票の塊でした。 なんでこんな物が?と思いつつ見入ってしまいました。 校内実力テストの結果や模擬テストの結果。いずれも偏差値や校内順位がはっきり明記されています。 特別悪くもないけれど決して良くもない…なんでこんな物をチェストの引き出しの奥にしまっておいたのか自分でもわかりません。 きっと当時、見るのが怖くて見られない。でも見ないわけにはいかなくて後で見ようと思ってしまったのでしょうね。 もうすっかり子離れしてしまったので、子供の学校の成績とかで嬉しいとか悲しいとかもなくなり、ストレスも無くなったわけだけど、あの頃はあの頃で生活に緊張感やハリがあり充実していたように思います。 でも決して戻りたくはありませんけどね。 大掃除から話がそれましたが、たくさんのものを断捨離できて家中の収納スペースに余裕ができました。 余裕ができると、不思議な事に心にも余裕ができた感じがします。 これで気持ちよく新年を迎えられそうです。 明日はおせち料理で伊達巻を作ります。 息子達のリクエストでこれだけは手作りです^ ^ 長男も明日帰省できそうです。 今年最後のブログとなりました。 一年間ありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。 皆さんも良いお年をお迎え下さい。 |
夫の事 私の事
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お久しぶりです。
9月は3連休が2回続きましたね。 1回目の3連休は予定がなかったので、長男のいる温泉地に行けると良かったのですが、本人が温泉地の病院からUターンでこちらへ戻っての仕事があったそうで叶いませんでした。 2回目の連休に私達が来たら良いと長男は思っていたようです。 ところが、この連休は夫婦で日光へ行こうと前から予定をしていたので温泉地には行けませんでした。 9月末の金曜日には温泉地を去るそうなので、結局私達は温泉地には行けなさそうです。 残念ですが、日光と鄙びた温泉地なら日光の方が良いに決まっています^ ^ それに、日光に行くのは私の以前からの夢だったのです。 「日光を見ずして結構と言うな」 そんな諺があるそうです。 私は一度も日光に赴いたことがなく、日光東照宮を一度は見てみたいと、ずっと思っていました。 夫は修学旅行で一度行った事があるけど殆ど記憶にないし、最近修復されて綺麗になったらしいので行ってみたいと意見が一致しました。 日光へは、新幹線で東京まで出て、浅草から東部鉄道で2時間近くかかります。 一泊でないと無理なのでホテルも予約しました。 ホテルは「日光金谷ホテル」に宿泊しました。明治時代の建物がそのまま残されていて、古かったのですが風情があって良かったです。 とにかく遠かった〜〜〜 でも行って良かったです。 お天気にも恵まれ、暑くも寒くもない気候の中、2万歩近くも歩きました。 東照宮は東京スカイツリーよりも高い位置に建ってるらしいですよ。そのせいか、高原にいるような爽やかな空気を感じました。 冬は雪も随分と積もるらしいです。 それにしても東照宮の存在感は圧倒的でした。 ここまで手の込んだ装飾をするのかと感動したし、テレビや写真だけではわからないスピリチュアルな雰囲気も伝わってきました。 東照宮だけでも充分堪能できましたが、その周りのたくさんの建造物や、ちょっと離れた所にある日光田母沢御用邸記念公園までも足を伸ばしました。どれも見応えのあるものばかりでした。 連休ですごい人でしたが、東照宮には朝のうちに入ったので大混雑になる前に脱出できたのも良かったです。東照宮以外はそんなに混んでいませんでした。 本物を見たいな〜と思っていた「見ざる言わざる聞かざる」もしっかり見て来たし事前の予習で初めて知った「眠り猫」も見ることができて満足しました。 修復が終わった後の鮮やかな色彩の東照宮を本当に美しいと思いました。 急な石段も多いし、歳を取って足腰が弱ってからではキツイかも…今のうちに行っておいて良かったです。 夢が一つ叶いました。 これからボツボツと、日本にある世界遺産を見て廻るのも良いなぁと思いました。 と言っても、昨日の夜帰ってきて 「あ〜疲れた。やっぱり我が家が一番いいわ!」 と思ったのも事実です。笑 下手な写真ですが見てください。 昔は皇族も泊まられたようです。 お皿はディナーの前菜です。 木は東照宮近くにあった杉に楢が宿った宿り木だそうでスキナラ(好きなら)という事で縁結びの木とされてるようです。 見ざる言わざる聞かざる 眠り猫 天井の龍の絵 東照宮近くのレストラン 遊晏山房のテールシチューとシーフードカレー 絶品でした 田母沢御用邸の部屋からみた庭園 |
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気が付けば7月最後の日になっていました。
前回の更新から1ヶ月以上が経過してしまい、7月に一度もブログを書かずに終わってしまうところでした。 夫ですが、単身赴任生活にも慣れて来た様です。 毎週金曜日の夜に、ただいま〜と言って帰って来ます。そして日曜日の夜、ご飯を食べてお風呂に入り「西郷どん」を観てからアパートに戻ります。 「サザエさん症候群」という言葉がありましたが、夫の場合「西郷どん症候群」だそうで、帰りたくない、帰りたくない〜と子供の様に駄々をこねながら、それでもちゃんと帰って行きます。 肝心の体の方ですが、あの時の様なひどい症状は出てないそうです。でも、それは多分仕事が今は落ち着いているからだろうと言います。これから秋と年度末が忙しいそうで、その時はどうなるかわからないと不安そうです。 人間の身体ってストレスが大きく影響するんですね。夫の場合、特にその傾向が強いと思います。メンタルが弱いのでしょうか。 メンタルで思い出しましたが、私も自分が思っているよりメンタルが弱いんだなと思うことがありました。 夫の病気の事もあり、私も心配で、今年は人間ドックを受けてみることにしたのです。 人生初の人間ドックです。 オプションで胃カメラ、マンモグラフィ、脳と頸部のMRIをつけました。 (今までは会社の簡単な健康診断だけでした) 人間ドックの1週間前位から、夜なかなか眠れなくなりました。 なぜ眠れないのかな? その時はわかりませんでしたが、人間ドックが終わると眠れる様になったので、ああ私は人間ドックで緊張していたんだと思ったのです。 一番怖かったのが胃カメラです。眠っている間の胃カメラは経験した事があるのですが、その病院は鼻から入れるカメラでした。それが苦しいのでは?と、とても不安だったのです。 結果は、特に痛くもなくオエッとなることもなく終わりました。杞憂でした。 それから脳ドックも不安でした。 私は今まで頭痛とかもなく、脳に関して病院にかかった事がなかったのです。 ですから脳は全くの未踏の地で、何か見つかったらどうしよう…と、とっても不安でした。 人間ドックの後、その日のうちに大まかな検査結果を教えていただいて、大きな問題は無さそうだとわかった時には、身体が軽くなった様な気がしました。 そしてその日から眠れる様になったのです。 私のストレスは睡眠に現れるという事がよくわかりました。 そう言えば夫が入院した時も眠れなかったな〜。 眠れる日になったことに感謝です。 |
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あの悪夢のような出来事から早くも1ヶ月が過ぎようとしています。
相手方の神対応によって交通事故の件は事故の翌日に無事に解決しました。 保険代理店からも 「もう事故の事は忘れてご主人さんの体を大事にしてあげてください」 との言葉をいただきました。 夫に報告すると安心した様子。 しかし事故から時間が経つにつれて、また病状が落ち着くにつれて、自分の起こした出来事が実感として恐ろしくなってきたのでしょうか… もう車の運転はしたくないと言い始めました。 夫は現在59歳。 来年の3月に60歳になり3月末で定年を迎えます。 65歳まで働くことができる職場です。 夫は今まで何度も辞めたいと思ったけれど、60歳で定年退職するまでは頑張ろうと思って我慢して働いて来たと言います。私としては、できれば65歳まで働いて欲しいのですが、そこは夫の気持ちを尊重して「来年3月で定年」の覚悟をしていました。 で、今回の事。 車の運転をしないという事は仕事を辞めるという事を指します。 正直私はこんな恐ろしい事が再び起こるのなら仕事は辞めて欲しいと思いました。そしてきっと夫は心の中で仕事を辞める決心をしているのだろうと思いました。 とにかくね、今は自分の体のことだけ考えて、検査の結果が出揃ったら主治医の話もあるだろうから、その時にまた今後の事は考えようね、と夫に話しました。 その翌日に脳波の検査もすると聞かされていましたし、もし脳波に異常でもあれば、それこそ車の運転どころじゃなくなります。 HCUの部屋から大部屋に移された夫。 そこが病室という以外、まるっきり普段の夫の様子と変わりありませんでした。 私は、きっと何も異常なく退院できるのでは?と期待が膨らんできました。 長男も、きっと何も異常なく退院できると思うよと言いました。 「だったらお父さんは何故あんな事に?」 検査したってわからない症状なんて世の中にどれだけあることやら…長男はそう言ってアパートに戻って行きました。 水曜日に事故を起こし 木曜日に相手の方に謝罪に行き 金曜日に長男がアパートに戻り 土曜日に脳波の検査 そして日曜日の昼前。 そろそろ病院に行こうかと用意していた時に携帯が鳴りました。夫からです。 「脳波の検査だけど異常なかったみたい。明日の月曜日に主治医の話を聞いて退院できそう。それで、アパートを探して欲しい。職場に近いところで。車の運転は怖いから通勤は無理。3月まで単身赴任で働くから。月曜に退院して火曜に引越しで水曜から職場に行きたい!仕事も溜まってるはずだから。」 夫が言ってる事がスッと頭に入りませんでした。 あんなに仕事を辞めたがっていたのに仕事を辞めない選択をしたってこと? 単身赴任…あんなにしたくないと言っていたのに? それに退院して自宅療養もせずにいきなり仕事へ? ただただ驚き、声が出ないでいました。 アパートを探すと言っても、どうやって?と思った時、長男がアパート暮らしを始める時にお世話になった不動産仲介業の営業マンの名刺がある事を思い出しました。 電話をして事情を話しました。 「普通、アパートは申込んでから入居までにどの位の時間がかかりますか?」 「審査も入るので1週間くらいはお時間頂いています。」 やっぱり…と思いましたが、できれば火曜日に入居したい旨を話すと何とかしましょうと心強い言葉を下さり、すぐに夫の職場から徒歩5分位のアパートを見つけてくれました。 定年の3月まで10ヶ月。どんなアパートでもいい。近ければそれで良いからという夫の言葉で即決でした。 すぐに私が申込み手続きに行きました。そしてその晩、審査が通りましたよと営業マンからの電話があり、次の日に契約手続きに来て下さいとの事でした。 予定通り夫が退院できればその足で夫を連れて行きますとお応えしました。 夫が単身赴任をすると決めてからあっと言う間にアパートまで決まり、夫の希望通り火曜日に入居可能という所まで漕ぎ着けてしまいましたが… 体は大丈夫なんだろうか? 一人暮らしで何かあっても家族がいなくて手遅れになる事があるのでは? 不安が募り夫に問いかけても、大丈夫!何とかなる!とそこの点は強気でした。 そして月曜日。 会社を早退して私は昼一番に夫の病室に向かい2人で主治医が来るのを待ちました。夫は既に着替えて、身の回りの物を片付けて退院の準備万端でした。 主治医が来て話しをして下さいました。 脳のMRIを何回か撮っても異常は見られなかった。脳波も異常がなかった。 視界に異常が起きたのは偏頭痛の可能性が高いと思われる。 事故をした時の記憶がないというのは、わからない。健忘症という病気もあるけどちょっと違うと思う。 要するに夫には何の異常も見つからなかったんだ。ホッとしました。 夫は主治医に 「何となく、まだ頭の後ろが痛い気がするんですけど…」 と言うと、主治医は 「それは、頭が痛いんじゃなくて筋肉が硬直しているんです。」 とはっきり言ってくれました。 今後、特に通院の必要もないし、もう退院して結構ですよ、との言葉を残して主治医は去って行きました。 それからが忙しかったです。 病院を出てすぐにアパートの契約に行きました。何しろ次の日に引っ越しです。 その後は家電を買いに。最低限の必要なものだけですが。運転は私がしました。 夫は運転が怖いけど、だからと言って全く運転しないわけにいかないし、これからも運転はしたい。でも体調が悪かったら絶対に運転しない。 毎日の通勤の長距離だと流石に不安だけど、週末の金曜日に自宅に帰る時の運転ぐらいなら時間に余裕もあるし道も空いてるから大丈夫だと思う。そして日曜日の夜にアパートに戻ろうと思う。 そう話してくれました。 私はよく決心したなぁと思いました。 定年まで勤め上げることは大切な事です。中途退社とは色々な意味で雲泥の差があります。 単身赴任と言っても10ヶ月だけ。 夫も10ヶ月だけと思ったから決心できたと言いました。 翌日の引っ越し。 私はもちろん会社を休み朝から荷造りに追われました。引っ越しと言っても次の金曜日には戻ってくるのです。 とりあえず、最低限の布団や身の回りの物を用意しました。 1週間前の火曜日は、それぞれ普通に過ごしていたはず。(事故を起こしたのは水曜日)1週間も経たないうちに、こんな引っ越しになるなんて…全く想像すらできなかった。人生って怖いなぁとしみじみ思いました。 そしてお昼過ぎ。事故車は修理に出したので代わりの代車にパンパンに荷物を積んでいよいよ出発です! 運転手は夫です。 久しぶりにハンドルを握って緊張気味。 私は助手席で、体調が悪くなったらすぐに言ってよと念押しです。 「さぁ、行くか!」 車は、我が家を後ろにしてゆっくり静かに動き始めました。 夫の新生活、そして我が家の新生活の始まりでした。 |
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翌日の朝、私は仕事を休んで病院に向かいました。
夫は点滴とモニターにつながれているだけで普段通りの表情に見えました。夫のいた部屋は一般の病室ではなく、ナースステーションにつながっているHCUという部屋で目が離せない患者のための部屋だそうです。なんだかそれが大袈裟で不思議に思えるくらいでした。 前の晩に損保の代理店さんから聞いていた事故当時の話を夫に伝えました。 相手方は3トントラック。 夫は相当なスピードを上げていたのでしょう、走っていたトラックに追突したらしいのです。もし停まっていたトラックだったら大ケガをしていたに違いないと言われました。そして助手席側の損傷がひどいので助手席に誰かが乗っていても危なかっただろうと。 私の言葉に夫は信じられないと言いました。スマホで写しておいた事故車の写真を見せても信じられない様子でした。 長年ゴールド免許の夫です。 スピードは出さない安全運転の夫なのです。 話をしていると主治医が来ました。 血圧や心拍も問題ないし手足の麻痺などもない。しかし昨日の状況からして普通ではないので時間をずらしながら脳のMRIを撮り様子をみましょう。そして脳波の検査も必要ですね。 その結果がはっきりするまでは退院できませんよ、と。 私は早い退院など望んではいませんでした。徹底的に検査して原因をはっきりさせて欲しい、そればかりでした。 主治医が去った後長男が来ました。 やはり長男には知らせるべきだと思い連絡したら休みを取って来てくれたのでした。 主治医の話を伝えるとウンウンとうなづき、夫の顔を見て「何なんだろうね〜」と。資格はあってもまだまだ研修医です。 その晩、事故の相手方のトラックの運転手に謝罪に行くことにしました。 代理店の話だと「首が痛いような事を言っていますよ」と。 夫は事故に関しては何も体に異常がなく無傷だし、トラックの運転手にケガというのも考えにくいけど、できればお見舞いを持って謝罪に行った方が良いでしょうと。そう言われなくても行くつもりでした。本人が行くのが一番ですが入院中だし長男と2人で行くことにしました。 できれば人身事故にはならない方が良いけど、100%夫が悪いし、それならそれで受け止めてしっかりお詫びをしようねと長男と話しました。 長男はスーツを着て行かなきゃね、と言いました。私は正直そこまで気が回りませんでした。なんか大人になったんだなーとしみじみ…それに男の子なんて役に立たないとずっと思っていたけど、こんな時には男の子って頼りになるんだと思いました。 相手方の家は車で20分ほどの距離のアパートでした。年齢は30歳。 アパートの玄関前に立つと赤ちゃんの声が聞こえて来ました。 ピンポン鳴らすとすぐに童顔の運転手が出て来ました。目が合った瞬間「あ、優しい目をしてる!」と思いました。 その後何をどう言ったかはよく覚えていませんが、とにかく2人で頭を下げて、言い訳になるけれど夫が体調不良であったことも説明してお詫びしました。 その間、運転手は一言も発せずじっと聞いているばかりでした。最後に私が 「お身体の具合はいかがですか?」 と聞くと、ちょっと笑って 「大丈夫です!」とはっきり答えてくれました。 用意しておいた菓子折りとお見舞い金の包みを渡してその場を去りました。 停めておいた車まで2人で歩いて戻る途中に後ろの方から 「すみませーん」 と声がしました。振り返ると運転手が私達を追いかけて来ました。 「これは受け取れません。保険で修理してもらえれば良いんで」 とお見舞い金を返そうとしました。 私も長男も驚き、こちらの気持ちが済まないので受け取って下さいと頭を下げてなんとか受け取ってもらいました。 アパートまで戻っていく運転手を見送ると、アパートの前に立って赤ちゃんを抱っこした奥さんが心配そうにこちらを見ていました。ちゃんと返したの?と言っているようでした。 「いい青年だね。いい夫婦だね」 「俺なんかよりよっぽどちゃんとしてるよな」 それほど歳も変わらないのに妻子がいてあんな気遣いができて…長男も心を動かされたようです。 前日の悪夢のような出来事で重く固くなっていた心がふっと軽くなったような、そんな気がしました。 救われた。あの青年に救われた。あの優しさに救われたと心底思いました。 |




