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アッツ島玉砕 戦場はこんなではねえ
「全然、アッツ島じゃない」。元一等兵の手記によれば1943年5月29日、最後に生き残った約500人による「総攻撃」に加わった。
直前、「もう最後だ」と手元の百円札を焼いた。
「神も仏もないのか」と号泣する年上の軍曹がいた。腹や胸に深手を負った兵士らは母や妻子の名を呼び、手榴弾で自決。元上等兵は銃を撃ちながら突撃中に至近弾を受け、意識が戻ったのは米軍テントのなか。
「大砲と小銃では戦争にならない」と記す。
「これは絵でしがねえ。現実はこんなでは、ねえ」
「もう戦争を語るのは金輪際やめた」と語る、岩手県の元上等兵の感想も
同様だった。
50年2月18日付の朝日新聞は守備部隊の遺品を携えて来日した米軍元注意の証言を載せている。
負傷しているのか、まともに歩けるものはいなかった。一歩一歩喘ぐように進んでくる隊長らは、撃たれてもまた起き上がってきた。「降伏せよ。降伏せよ」。マイクで呼びかけても聞かない。我々はやむなく全砲火を集中したーー。
語られた戦闘は一方的な銃撃で集結し、藤田が描く肉弾戦とは違っていた。
アッツ島と同様、藤田が他に描いたガダルカナル、ニューギニア、サイパンでも、軍首脳の決定的失策とされる輸送の軽視で現地部隊は孤立し、飢餓や全滅に遭っている。軍人の戦没者約230万人中、140万人近くが餓死か飢えが原因の病死とされている。
美談に仕立てた軍部
アッツ島を失った1943年5月30日の大本営発表で、全滅は「玉砕」と言い換えられた。「部隊長はただの一度でも一兵の増援も要求したことがない。また一発の弾丸の補給をも願わない。その烈々の意気、必死の覚悟には誰しも感慨していた」。玉砕した兵士全員が「軍神部隊」の名で神格化された。実は部隊長は増援を求めていたが、上層部は一つとして実行せず、美談に仕立てた。
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