西方見聞録

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運慶・快慶を巡る旅

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二つの『運慶』展

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平成29年(2018年)9月26日〜11月26日に東京国立博物館(トーハク)で行われた『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶展』と協力しながら、神奈川県立金沢文庫で『特別展 運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』を、平成30年(2019年)1月13日〜3月11日の会期で開催中である。東京では運慶作と確定されているか、その可能性が極めて高い作品が中心に展示されていたが、横浜では、学術的には運慶作ではないと異議が出ても、運慶の工房か、その関係者によって作られた可能性がある作品が主に展示されており、鎌倉時代の仏師たちの名作に触れる上でも貴重な機会になっている。現存していれば運慶の最高傑作だったであろう、永福寺から出土した仏像断片や、運慶仏を基にして作られたと考えられている鎌倉国宝館の十二神将立像から戌神立像が展示されるなど、かなり踏み込んだ内容になっている。

まずはトーハクでの特別展を振り返ってみる。冒頭を飾った対日如来坐像である。確実な運慶作として認められる、「最初期の作品」とされる奈良県の円成寺の大日如来坐像の迫力は多宝塔では味わえない。現地では多宝塔入り口の外、光が反射するガラス越しに拝観するので、かなりの距離感を感じる。高野山金剛峯寺の八代童子像も、現地では全揃いで出会える機会はほとんどないので、何かの特別展が一番のチャンスである。八代童子とよく似た顔の作りと表情から、運慶作と考える研究者がいる東福寺の多聞天立像は、保存状態がとても良く、美しい作品だった。

今回、最も期待していたのは、興福寺南円堂の四天王像である。1年に一度、10月17日の法要「大般若転読会」の時にしか拝観できない。近年、有力研究家が運慶作の可能性を述べていた。今回、ようやく念願叶ったが、写真で見た時の印象とは違って、運慶仏独特のリアルさを感じられなかった。動きのある動作には、慶派の流れが感じられるが、顔の作りが余りにも大雑把で、運慶が関わったとしても、弟子にほとんど任せたような作りだと感じた。

清水寺の観音菩薩立像・勢至菩薩立像を揃って観ることは、2014年11月、京都国立博物館(キョーハク)のリニューアルオープン展『京へのいざない』で観音菩薩立像に出会って以来の念願だった。個人的には、運慶作と考えている。今回の目玉の一つ、静嘉堂文庫美術館所蔵分が修理を終えたばかりの浄瑠璃寺伝来の十二神将立像については、運慶没後の年号が像内に書かれていることが分かったことで、運慶の直接の関与が疑われるに至った。それでも、少なくとも運慶の工房関係者が関わった可能性は十分にあるのではないだろうか。明治35年(1902年)11月22日付の『毎日新聞』に、像の胎内に「上坊別当筆、大仏師運慶」の銘があると数年前に話題になり、静嘉堂文庫美術館とトーハクの展示を見に行ったときから、写実的な身体の動きだけではなく、衣の動きの見事な描写に感激した。新聞記事がどこまで正しいのかは、トーハク所蔵分を解体修理して内部が確認されていないので分からない。運慶仏については、大変貴重なことから、解体修理を避ける傾向にある。無理に確認する必要はない。

さて、金沢文庫は、確実な運慶仏、称名寺光明院 大威徳明王像を管理する公立博物館である。今回は、像内納入品を展示しているだけではなく、像の前後から観ることができるように工夫されている。

京都と奈良で何度か感銘を受けた海住山寺の四天王立像には、東京での展覧会でも再びお会いすることができた。40センチに満たない小さな像ながらリアリティ溢れるダイナミックな表現から、運慶作かその工房で作られたと考えて良いと私も思う。鎌倉時代以降に作られた模刻像、「大仏殿様」の優秀な作品としては、広目天に快慶作と書かれた、大きなサイズの金剛峰寺像が印象深い。今回、横浜で展示されている岡田美術館や個人蔵の四天王立像は、奈良博仏像館に展示されたもう一つのセットの他にも、「大仏殿様」が残されていることを示している。鎌倉国宝館の十二神将立像戌像のように、運慶作を模刻したと思われる、今は残っていない運慶仏を伝えてくれる作品を見ることができるのが金沢文庫特別展での楽しみの一つだ。

運慶作とほぼ認められている仏像は、時々、トーハクで展示される光得寺の対日如来、長男の湛慶との共作と考えられている滝山寺の3体から、梵天立像が展示されている。他の2体の内、聖観音菩薩立像はトーハクで展示されていた。もう一体の帝釈天立像は、平成23年(2011年)に『特別展 金沢文庫80年 運慶 中世密教と鎌倉幕府』に出品されていた。

今回は、瀬戸神社の二つの舞楽面の内、抜頭面の裏面銘文が「追銘ではない」として「運慶作」としている。陵王面については、まだ慎重な姿勢を崩していないが、私は両方とも運慶作だと思う。今回、初めて見て独特の個性が際立っているように見えた。一方で、近くに展示されていた鶴岡八幡宮所蔵の陵王面と菩薩面もまた、同じ工房で作られたと私も思う。

仏法紹隆寺の不動明王立像もまた、運慶作の可能性があると長く言われてきている。高さ42センチで小さいが、顔の表情と全体のバランスが浄楽寺の不動明王立像とほぼ同じであることと、衣服の自然さなどから、十分に運慶作の可能性があると思う。

その他の注目すべき仏像は、曹源寺の十二神将立像の中の巳神である。運慶が活躍した建久年間作であることが戌神(酉神)内に書かれていいるという。確かに、願成就院の毘沙門天の顔と瓜二つに見える。十二神将の顔の表情がそれぞれ作者が違うように見えるのは、分担して作ったからだろうか。それとも、正安2年(1300年)の修理の際に顔が変わってしまったのだろうか。まだ金沢文庫に到着していなかったが、図録で見る限り、清雲寺の毘沙門天は、高野山金剛峯寺の八代童子像を思い出させる、よく似た顔の作りである。

運慶作の写しではあるが、明治初年に焼失するまで運慶の代表作として知られていた東寺南大門金剛力士像をしのぶことができる小さな二躯も見逃せないし、運慶作と認められていないものの、絵巻によって鎌倉時代後期まで「運慶作」の伝承をさかのぼることができる光触寺の阿弥陀如来立像と両脇侍立像もまた、慶派の傑作の一つとして注目すべきである。現時点では「運慶作」の賛同を多くの学者から得られていないが、比較的に最近、「運慶作」であることが分かった興福寺の仏頭と顔の表情がほとんど同じなので、十分に検討の余地があると思う。同時代の類例で快慶作の優れた作品が残っているが、明らかに快慶作とは違う慶派の傑作である。

頼朝との関連が『吾妻鏡』に記されている慈光寺の阿弥陀如来坐像もまた、慶派初期の作品と考えられている。展覧会では正面からしか見ることができないが、横からの姿を図録の写真で見ると、全ての運慶坐像に共通する、上半身をわずかに後ろに引く姿勢が確認できる。

両展覧会で全く触れられていないが、三十三間堂(蓮華王院本堂)の木造千手観音立像510号は、「運慶作」と銘があると言われているにもかかわらず、「10代の若者が作ったとは思えない」という理由で、大方、運慶作と見なされていない。小柄で、生きたような腕の作り、他の像とは違う動きを感じさせる衣の表現は、若き天才の作品を思わせる。近年、長い年月をかけてようやく終えた、全ての千手観音立像の修理から得られた新情報はあるのであろうか。現代の天才芸術家達が、十代から驚くべき才能を発揮していることを考えると、私は、運慶最初期の作品として再検討するべきだと思う。


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