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被害者になれば勝ち
三島 私は、戦争というものは結局思想の戦いで、それが根本にあって、武器の数や兵カの間題ではなく、ロジックとロジックの戦いだと思うんですね。ですから、いま現実の戦争もすべて思想戦や心理戦が基礎になっているので、アメリカのロジックは全くベトナムのロジックを理解しないし、ベトナムのロジックは自分のロジックを固執して、ボーゲンザップがディエンピエンフーの時なんか東京から熱海くらいまでのトンネルを掘って、知らない間にディエンピエンフーを穴だらけにしてしまい、司令部の下の穴から人が出てきて全滅しちゃったとか、あんなことはもう、近代戦の常識じゃ全く考えられない。
日本はなぜ大東亜戦争で敗北を喫したかといえば、近代戦を戦ってしまったからだと思いますね。それで近代戦の点では、物量にはかなわないこと初めからわかっているし、日本は島国ですから補給が続かないので、どうしたって西洋のやり方でもって戦わざるを得ないから西洋に負けてしまった。ベトナムとかああいうところは地続きで幾らでも補給ができる。しかもほんとうの非ロジカルな、非論理的な戦争をやるから、何から何まで全部こっちの論理構造を突きくずす、これはアメリカがロジカルであればあるほどこうなってしまったんだろうと思いますね。
ただ、ぼくはアメリカが偉いと思うことは、このベトナム戦争二、三年の経過の中で言論の自由が完全に保たれたということ、これが一つ。もう一つは金持だから戦争がやめられたということが一つ。ベトナム戦争でてこずったのは、限定戦争という考え方の中にロジックのわながあったんだろうと思いますね。核を持っているがゆえに限定戦争という観念ができてきて、限定戦争というロジックがあるがゆえに、ますます総力戦体制がとれない。総カ戦体制がとれないから向うのロジックに打ち負かされる。
福田 確かにそういうところあるでしょうね。そういう見方の中で特に私どもが感ずるのは、アメリカがどうもアジア的な風土を理解しないで、アメリカの民主主義というものを教条的というと強過ぎるかもしれませんが、押しつけるようなかまえ、これが基本的に災いをなしているんじゃないかという感じを持つんですね。
三島 確かにそうですね。戦争というものはふしぎな、非論理的なーむずかしいものですね、実に。私はいつも言うんですが、いまの世界情勢は弱者と強者の戦いで、女と男の戦いだというんですよ。女が必ず勝つようにできている。勝とうと思ったら弱者か被害者にならなきゃ損なんですよ。これは限定戦争理論でもあるけれども、力のあるー力というのは核ですね、核のあるやつはこぶしが使えないから、こぶしを使わないでやろうと思うんで、右手はすでに使えない。そうすると向うはかみついたりひっかいたり、何でもできるんですね。そうするとこっちはどうしても手がおろせないんですから、かみつかせる、ひっかかせるにまかしておくと、今度ひっかかれたところがうんできたりして、初めばかにしていてもだんだんからだが弱ってきちゃう。
それでいつでも、いまの世界のどこのどういう分野でも、権カを持ったり強かったりしたらもう負けですね。全学連は早く警官にたたいてもらいたくて行くわけですね。たたかれれば被害者になるから。被害者になれば勝ちなんですね。そうするとつまりヒーローになれるわけです。限定戦争でもそうですが、ベトナムは弱者、被害者という立場をつらぬきとおしたから、実際はそうでもなくてかなり強いんですけれども、世界中の同情を呼んだ。
世論というものと核というものが戦後の世界を完全に支配したんです。世論は女で核は男です。
それで核はある意味でいつも世論の掣肘(せいちゅう)を受けなければならない。男はいつも女の掣肘を受けなければならない。で、どっちかというと女の側についたほうがいつも得なんですね。
三島由紀夫著「若きサムライのために」
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