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“二人は世界のために”も必要
福田 そういう中で日本はどう対処するかということ、またそういう方向をどう感じとっているか、これは私ども政治家とすると寝てもさめても頭の痛い問題なんですね。
三島 そうでしょうね。そこで憲法問題が出てきますが、私は憲法がいいとか悪いとかいう問題よりも、いわば日本はユートピアを先取りしちゃったと思うんです、憲法によって。しかし実体はありはしないんです、そのユートピアは。それでユートピアを先取りした国民が、今度はどうやって現実に目がさめるかという問題ですね。ユートピアはいいんだとしかし現実はこうなんだと。現実の毎日毎日はこうなんだということがどうしてもわからない。だから痴人の天国になってしまうわけですね。
ある政治的な理想というものは一歩一歩実現するほかはないんで、そういう百年の大計をきょう実現することはできないんですが、日本ではあたかもそれが実現されたかのごとき錯覚が起って、それがいまだに続いているんです。やっぱり敗戦後の一時の虚脱状態から生れたものだと思います。日本には確かに非武装中立的なイメージがあって、それがいまでも現実にそうであるかのような、そういう日本を、一たんあったものをだれかがこわしてしまったような被害妄想があるんですよ。ところがそんなものは一度もなかった。
それでいつもいうんですが、それじゃ君ら非武装中立というが、日本が武力で守られなかった日が一日でもあったら教えてくれと。
厚木にマッカーサーが進駐してきたその日に日本軍は解体して、日本軍のかわりにアメリカ軍が入ってきて、アメリカ軍がいなくなったときには自衛隊がもうあったんですからね。現実に生きてる人間としては私はこう思うんです。つまり十日先は自分はつまらんイデオロギーのために死ぬかもしれない、福田さんも暗殺されるかもしれない、歴史の中に生きている人間はそうじゃないですか。その時代時代、理想がありながらそのつまらんもののために死ぬんですよ。それでいいんだと思うんですね。つまり将来の理想的なイメージに、ユートピアに向って命を大事にして、なるたけあたらずさわらず、自分は平和なところにいて安穏に百年生きたって始まりませんよ。おっしゃるように、二十一世紀の中ごろにそんな世界国家ができるかどうかだれも知らないと思いますね。
福田 私もそんな感じがしますね。つまり理想と現実をはき違えている。そういうことから、政治的杜会的な混乱が出てくる。ともかく私は、政治家として、やっぱりみんなが一人で幸福であり平和であるわけには行かないんだ。みんなが力を合せて責任を分ち合って初めてできるんだという考え方を持ってほしい。それから国際杜会における日本の立場にしても、同じような考え方が必要な段階になってきている。
この間もたくさん若い人の集まる会がありまして、歌を合唱するというんです。何を歌うかというと"世界は二人のため"に。私、ひやかしたんですよ。その歌は非常にいいし、皆さんの気持もわかる、わかるがそればかりじゃいけないと。二人は世界のためにあるという気持もひとつ持ってもらいたいんだという話をしたんですがね。
三島由紀夫著「若きサムライのために」
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