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国連予備軍と国土防衛軍
三島 ただそこで、ぼくはそれは論理的に正しい、おっしゃるとおりだと思います。しかしエモーションはついて行かないですね。国民は必ずしも論理的な人間ばかりじゃない。いつも感情で動く、ことに日本人は非常に感情で動きますね。そうすると、自分たちが国を守ろうとすると、いつの間にかアメリカのカサを認めることになってしまうというのはどうにもやり切れないという感じが一般に強いですね。論理では確かにそうなんだが、それを何とか解決する方法はないだろうかという・・・。
福田 一般に強いですか。
三島 私は強いと思います。
福田 私は非常に簡単な論理じゃないかと思います。いま日本の政界をよく見てみても、安保条約が必要だと考えるのは自由民主党と民主杜会党なんですね。それから杜会、共産の両党はこれは廃止だと。公明党は中間的に段階的解消論、こういうふうに分れておりますね。その中で廃棄論の有カな議論はやはり杜会党ですね。一体どうするんだというと、無防備中立だというわけです。これは三島さん、常識のある人はまぼろしの防衛論、幻想としか受けとらないんじゃないでしょうか。少し問題を話してやれば、きわめて簡単に国民が理解し、安保体制に対する理解を持つことになるのじゃないかと思いますが。
三島 私はそう簡単に行かないと思う。きょう『週刊読売』という雑誌が来て、見ましたら、私もアンケートの一人ですが、憲法のどこが気に入らないか、憲法改正するにはどうしたらいいか、自衛隊をつまり軍隊と認めるかどうか、例のごとき問題で六十何人の人間がアンケートに答えていますが、圧倒的多数が憲法はこのままでいいし、自衛隊も軍隊と認めないし、もっとはなはだしいのに至っては、もう軍隊なんかやめてしまえというのが非常に多いんですよ。日本人のそういう実.に非論理的な思考というのはばかにならない。日本人というのはそういう考え方をするんですね。
福田 それは進歩的文化人を集めての話じゃないですか。
三島 いや、それは漫才師もいればいろんな人がいますよ。漫画家なんかもいますし。まあ平均的日本人の、つまり熊さん八つぁんみたいな人たちが一ぱいいるわけですね。あれの中にある考え方の核は何だろうかと私はいつも思うんですが、つまり自主独立というものと集団安全保障という問題は日本人の中で観念的には理解できても、心情的に理解できていないところがどこかにあるんですね。それをどうやって理解させるかということは非常にむずかしい。
つまり私は、国軍を二つに分けて、国連予傭軍とわれわれの軍隊とを二つにはっきり分けてしまうほうがいいと思う。そして集団安全保障のための軍隊と、それから全くの自主防衛のための軍隊である国民軍と、私ははっきり分けるべき時代が来ているんではないかと思うんです。憲法でそういうことができないということはわかっています。しかし、京都産業大学の小谷秀二郎さんなんかいっている国連予傭軍の考え、あれはヨーロッパ諾国でいろいろやっているんですが、国連警察軍にいざという場合に協カするための特別な予傭軍ですね。私はこういうものがはっきり分けられれば、制服から何から全部違うわけですが、われわれは国連の軍隊であり、一方、われわれは日本だけの国土防衛の国民軍だというふうに、考えを分けないと頭が混乱してしまう。
それから安保条約の双務化ということ、これは憲法を改正しなければ双務化は絶対できないですね。アメリカはそういう点でどう考えていますか。憲法改正について……。
福田 アメリカの見方はできないということでしょうね。
三島 できないということを向うは知ってるわけですね、よく。
福田 結局経済面の負担ということになってくるんじゃないですか。東アジア諸国に対する経済援助、そういうものがかなり強く要請されるんではないでしょうか。また私は当然要請を待たずしてやるべきだと思うのです。ただこれもむずかしいんですよ。結局外国を援助するということはわれわれの国民所得をそれだけ海外にさくことですから、一体日本の道をほっといて外国の道をつくるのはどういうわけだと、こういう議論も出てきますね。しかしそういう日本はただで繁栄と平和を享受することはできないという考え方を持たなければいけない時期に来ているんじゃないか。
三島 ただ人間の精神は肉体から来ていますから-私は精神と肉体はいつも密接なものだと思いますから、たとえばいかに後進国援助、後進国開発に援助するとか、あるいは国連警察軍に対する出資とか、そういう点で税金が上げられても経済主義の原則から離れるわけではない。さっきからの根本的な問題ですが、経済主義というのは自分だけ金をもうけて一人だけ楽なことをするばかりではない、金を出すことも経済主義。しかし人間は金を出したことによって、自分の良心の満足が得られるかというと疑問です。アメリカでは、慈善団体というのが一ぱいあって、変な太った金持のばあさんがワイワイ、ダンスパーティなんかをやって、身体障害者とかいろいろなもののチャリティをやっていますね。ああいう考えというのは、日本人はあまりぴったり来ないですよ。それで自分は金をやったから責任果したんだ、税金払ってるから責任果したんだというんでは日本人は満足しない。からだがあるんですから、これはやっぱり何か労力を出資するとか、つまり人間がからだをぶつけてやることじゃなければだめですね。
国民精神というものを振起するには……「まず身を起せ」というのが、いつも私の考えの基本です。
(昭和四十三年七月)
三島由紀夫著「若きサムライのために」
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勉強になりました。ありがとうございます。
2012/9/29(土) 午後 8:41 [ ラララ♪ ]