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『妙法蓮華経』の題目の意義について
このように釈尊は、実相は“空”にあらず、そんな有耶(うや)、)無耶(むや)、ハッキリしないところの夢幻的存在でもなく、実にハッキリした具体的存在であるとお説きになった。この真理をお説きになったお経が『妙法蓮華経』と名づけられているのは、この世界の実相は、妙法即ち妙なる法(ことば)によって成り立っている世界であって、そ法(ことば)は蓮華の花びらのように、中心に巣があって一切のコトバが中心のスメラミコトに中心帰一している世界だという真理を、文底秘沈(もんていひちん)の真理として表現しているのであります。
私たちが「南無妙法蓮華経」ととなえて有りがたいのは、それは単にお経のお題目だからではない。「宇宙の実相は妙法蓮華の相(すがた)である、その中心にスメラミコトがましますのです。それが実相です。その実相に、私たちの命を帰一します。その実相と、私の生命とは一体でございます」という意味の誦(とな)え言(こと)であるから、「南無妙法蓮華経」と誦えることが有りがたいのであります。だから或る団体の信者のように、天皇に対して敵意をいだき、やがて天皇制を廃するための下ごころで現行憲法を当分の間護持するつもりで護憲側にまわっているような人々が「南無妙法蓮華経」と唱(とな)えても、“心”と、誦える“言葉”とが一致しませんので、決して功徳はないのであります。-
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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