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日本なるものの本質
私は「日本」を限りなく愛します。日本の現実の状態ではありません。「日本」なるものの本質を愛するのです。
私は日本民族の本質又は特殊性と云うものをその「古事記」神話の中に見出だすことが出来ると思うものなのです。これは具體的歴史よりも尚一層真実なるものであります。具體的歴史と云うものは、神話の中に現れたる日本の理想が徐々に現実に展開して行く過程でありまして、時にはそれが退転した如く見え、不完全にあらはれたり、行き過ぎたり、行き足らなかったり、脱線したりするのでありますが、結局は大観して観る時、全體としてその民族理想が一層ハッキリと顕現し行きつつあるのであります。
さて日本民族神話の特徴は中心帰一理念であります。それは、「古事記」の冒頭の「天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成(な)りませる神の名(みな)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の最初の行にそれが既にハッキリあらはれてゐると云うことであります。
先日、ラジオ放送で、それはキリスト教放送でありましたが、「日本の神は本當の真実の神ではなく、宇宙の根元の神ではないのであって、それは「成りませる神」と書いてあるから、最初は神でなかったが、徐々に神に成って来たのであるから根源の神ではない」と外人牧師が云ってゐるのであります。かう云う外人の日本侮辱放送を平気で放送させてゐるほどに日本の放送局は無智であるのでありますが、「成(な)る」と云うのは「鳴(な)る」と語源が同じであって、高天原(即ち宇宙)に鳴りわたるコトバであったところの神が天之御中主神であったと云うのであって、これは、キリスト教のバイブルのヨハネ傳第一章に「はじめに言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき、万(よろ)づのもの之によりて成り、成りたるものこれによりて成らざるはなし」と書かれてゐるコトバなるところの「神」と全く一つなのであります。 大體、神ともあらうものが、キリストが約二千年前生まれるまでに生まれたところの数十萬年間の人類を、キリストが出現するまで救わなかったと云うことはあり得ないのであります。従って、キリスト・イエスに結ばれなかったならば、人類は救われないなどと云うことはあり得ない。真理を知ったならばキリストに触れずとも救われると云うことは、キリスト自身が「真理は汝を自由ならしめん」と云ってゐるのでも明らかなのであります。真理が救うのであって、或る特定の人間が救うのではありません。キリストはその真理のあらはれの一つであったのであります。阿弥陀仏も真理のあらわれひとつであったのであります。キリスト教が佛教を排斥する理由もなければ、佛教もキリスト教を排斥する理由はないのであります。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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憲法改正案に懸念を示している人たちもいるようですが、国家の基盤となる憲法を見直さなければ、何もかもが上手くいかないでしょう。
特に国防軍明記や緊急時の対応、環境権など新たな権利をどうするかなど。
ナイス!
2012/11/22(木) 午後 0:11 [ MTK ]
もときさん本当にそうですね。石原氏も新党結成するときは、憲法破棄、憲法破棄と言っていましたが、わからない人が多いからでしょう。官僚改革に変えましたね。でも腹は憲法破棄だと思います。
2012/11/23(金) 午前 6:11 [ サイタニ ]