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男性原理と女性原理の交合
(何故憲法を変えなければならないか)
さて、陰陽不二の天之御中主神より、イザナギとイザナミとが分化し人格化してあらはれて来ましたときに、それは既に陽性原理、陰性原理と云うやうな抽象的な原理でなくなったのであります。それはすでに男性原理、女性原理と一層具体化の相(すがた)に於いてあらはれたのであります。 「古事記」によりますと、イザナギとイザナミとは男女互いに誘いあい「天之御柱(あめのみはしら)を中心に行き廻(めぐ)りて御床(みと)の交合(まぐわい)せなと宣りたまいて、行き廻りますときに、イザナミの命「あな愛(にや)し、好男子(えおとこ)」と宣(の)りたまひて、イザナギの命「あな愛(にや)し、好女子(えおとめ)」と宣りたまひて、御子生(みこう)みませるときに」蛭子(ひるこ)及び泡沫島(あわしま)が生まれたのであって、これは「御子の数には入らず」と書かれてゐるのであります。
女性は陰極即ち「水極(ミギ)」であり、男性は陽極即ち「火足(ヒダリ)」であります。左が進み、右が退くのが霊性文化の特徴であり、それが最もハッキリあらはれてゐるのが、日本人の自然法爾(じねんほうに)の生活習慣であります。それは左側通行にあらはれてをり、「前へ進め」と云うときには左足が先づ前進するのであります。「廻れ右」と後退するときには先づ右足が退く。その衣服は右衽(みぎまえ)と云って左襟を前に着ます。弓を引くにも、鉄砲をねらふにも左手(陽・男性)が先づ前に突き出て其の方向を定めて、「右手」(陰・女性)は定められたままに素直に矢を放ち、又引金を引くのであります。左手も右手も同じ一人の人間の身体の一部であり、同一生命が宿ってをるのでありますから、その基本的生命権(基本的人権になぞらへて謂ふ)は全く同一であります。 だけども誰でも左手と右手とにはその働きの分担(謂はば天分)が異なるのでありませう。その基本的権利は全く同一でありながら、その天分が異なるのであります。同一生命の顕現でありながら、眼には眼の役目があり、胃袋には胃袋の役目があり、心臓には心臓の役目があるのでありまして、平等にして差別あり、差別にして平等なのであります。その差別を忠実に履行するとき、その平等の生命が生きて来るのであります。
平等のみを主張して悪平等に陥るとき、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と云いながら、「天は心臓も肺臓もつくらず、ただ細胞のみ平等につくりたり」と云うことになり、人間はバラバラの細胞に分解分散してしまって全體としての身體の自由は覆されてしまうのであります。
天はすべての人間に神の子としての平等の権を興へたまひましたが各部分が、「自己」のみの利益を主張するためにストを強行するやうな権は興へたまはなかったのであります。若し一有機生命體たる人躰の心臓でも肺臓でもストを強行するならば人體は死んでしまふのであります。心臓も肺臓も平等の権利を主張しても可いけれども、各々その役目をつくすことを放棄してはならないのであります。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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