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何故憲法を変えなければならないか
さて男性と女性とは、ともに「一」なる神から分化し、その生命を宿してゐるのですから、その基本的人権は平等でありますけれども、ひとたび男性となり女性となって出現した以上は、それは頭脳と心臓との働きが異なり、その措(お)かれてゐる位置が異なりますように、女性と男性とは異る役割を分擔し、その措(お)かれてゐる位置も異なるのであります。
それは真理を中心として自分の割當てられたる方向に働かなければならない。「古事記」はその原理を示してゐるのでありまして、「天之御柱(あめのみはしら)を行きめぐりて寝所(みと)の交合(まぐはい)せなと宣(の)りたまひて、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は左より、伊邪那美命(いざなみのみこと)は右より廻りましき」とあるとほり、男性原理は「陽足(ひだり)」であり、左は進むのであります。女性原理は水極(みぎ)でありまして、右は退(ひ)くのであります。それによって一圓相(えんそう)となり、家庭が国家が完全に調和するのであります。 これに反して、イザナミなる女性原理も男性原理と同様に前に進むと云うことになりますと即ち一圓相となることが出来ず、凸と凸と衝突して破壊してしまふほか仕方がないのであります。女性の自然の摂理的肉體構造から見ましてもこのやうなことは「自然」ではない、不合理だと云うことが判るのであります。男女は「一」なる神の生命を互いに分かち興へられてゐるのでありますから、平等の尊厳があるのは當然でありますが、その働きに於いて互いに異なると共に補足的でなければならないのであります。 「古事記」によりますと、イザナミは黄泉国(よもつくに)の神と云うことになってをります。ナミは水平運動でありますが、「一體の水」の波瀾(はらん)によって分裂した相(すがた)になります。この水平運動原理は、嘗(かつ)てロシアの労農運動となって現れたのであったし、ソ連の社会主義運動となって現れたり、また米国の民主主義運動ともなって現れてゐるのであります。それは個人主義であり、「分割して支配せよ」の文化であります。 黄泉国(夜見(よみ)の国)は日の落つるところ、即ち西欧にあたるのでありまして、西欧文化が「分割して支配せよ」の原理によって発達してゐるのはその分擔せる使命の達成でありまして、これが霊的文化以上に発達してまゐりますと、それは凹の分化でありますから、中から割れてゐるのであります。 家族国家を分割して個人烏合の集合の国たらしめ、姦通を公許して夫婦の乖離することを容易ならしめ、独占禁止法によって大産業を分断して生産を減少せしめ、忠孝の思想を分断して人情の美を破壊し、物質を分割して分子とし、分子を分割して原子とし、原子を分割して原子崩壊を惹起(じゃっき)せしめ、広島を長崎を烏有(ういう)に帰せしめ、更に第三次世界戦を惹起きして世界全體を粉砕して「空無(くうむ)」に帰せしめようとしてゐるのであります。日本の失敗は本来の霊的文化の使命を忘れて西欧の物質文化に心酔し、物質の破壊的方面をもって世界を征服しようと點にあるのであります。 つづく 谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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