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天皇から叡智を引き出すのは国民の天皇信仰による
眞に暴虐暗愚の家長(父又は良人)を完全圓満なる神の子として拜むとき、その暴虐暗愚の 家長が至慈至愛の家長と変貌する實例によって、天皇に於いても國民全對が、天皇を本当に愛し敬し、その圓満なる叡智と至仁(しじん)なる政治を信ずるとき、天皇には必ず、國民全対の幸福を實現する神ながらの叡智が發揮されるものであることを信ずるのであります。 「天皇が國民の中で最高の叡智者であると云ふ証拠はない」 「父が常に正しいと云ふ証拠はない」と云ふ常識的見解から(これは常識的や、現象を見る見地からすれば正しいのであるが)良人を批判し、父に反抗し、そのために如何に多くの家庭が不幸に陥ったか。又其の不幸に陥ってゐた家庭が、実相を拝む方法により、愛し敬し、その圓相を信じて委せる方法によって、その良人又は父が如何によくなり、家族自身の自由も却ってそれによって完全に確保せられるに到ったかは事實の証明する處であります。 天皇に於ても此の事あるは当然でありまして、「天皇がその最高の叡智者であるといふ 証拠はない」と云ってゐる限りは証拠はあらはれないのであってその實相の圓満を観ずるとき、その叡智があらはれるのであります。家庭に於いてはこの種の實例を無数にあげることが出來ます。國家も一つの「家庭」であります。 谷口雅春著 「私の日本憲法論」より |
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