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憲法の本質はいかにあるべきか
「新日本春秋」の杜説は続いて、憲法の本質たるべきものについて次のごとく説くのである。
まことに憲法は国家の基本憲章であり、その正否は国家・民族の運命を左右する死活のカギである。そしてまた、いかなる憲法の下にあっても、国家は憲法以前の儼然たる存在であり、その運用は歴史と伝統に基いて峻厳、慎重であらねばならぬ。明治憲法の下における道義日本の統一と国運の興隆発展、そして昭和敗戦のあとには深い教訓と啓示がある。明治憲法への復元を救国打開の目標とするとともに、その歴史的反省は当面する諾懸案の解決にも為政者の姿勢を正し、信念を鼓舞するために必須の心構えというべきであろう。
ここに説かれているところの「国家は憲法以前の儼然たる存在であり、その運用は歴史と伝統とに基いて峻厳、慎重であらねばならぬ」ということは、天照大御神の天孫降臨の神勅を生命として発祥し、独自の個性ある生命体として建国以来、二干六百三十年、連綿として持続し来った天皇への中心帰一の家族的民族国家たる個性ある国家生命の連続こそ、日本国家の「歴史と伝統」であるのである。
それは、日本民族の創造せる最も偉大なる文化的芸術作品であって、他の国の建国の歴史的イデオロギーであるマルキシズムや、民主主義や、共産主義をもって置き換えることのできないものであり、それを強制的に置き換えられたとき、その国は、すでに本来のその国ではなく、植民地国家となったのである。日本国は、アメリカ軍の日本を守る基地を日本の諸方にもっているから殖民地なのではなく、建国の個性ある精神の顕現たる歴史と伝統を表現する国家及び国民のあり方を表現する大日本帝国憲法を廃せしめられて、他国のイデオロギーで綴られた占領憲法を押しつけられ、もって、日本国家の個性と伝統とを埋没してしまったとき、日本国家は自己の精神を失って植民地国家となったのである。われわれがこの植民地的状態を脱する道は、日本を守ってくれているアメリカ軍に撤退してもらうことよりも先に、日本の精神を埋没してその上に植えつけた占領憲法を廃棄し、日本独自の明治憲法に復帰することなのである。日本の精神の復元こそ個性ある国家独立の復元ではないか。
現行の占領憲法が進駐中のアメリカ軍の民政局に於いて、外国の精神によって短時日に起草して日本に押つけたものであるのに反して、明治の欽定憲法たる「大日本帝国憲法」の制定は、このような粗製濫造にして、しかも日本国を東洋の第四等国以下にいつまでも抑制しておく意図をもって起草せられたものとは異なり、明治天皇御親臨のもとに、まことに慎重、厳粛に起草せられたものであって、そのことを「新日本春秋」は次のごとく書いている。
つづく
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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