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 人間軽蔑と人間尊重の矛盾
昭和四十三年
 
 
人間は自分ひとりを治めることさえ安心して任せられないものだと言われることが時々ある。それならば、彼に他の人々を治めることをどうして安心して任せられようか。それとも、われわれは天使が人間を治めるために王者の姿をして現れたと考えるべきなのか」
 
 
とはアメリカ合衆国建国の功労者の一人で、第三代の大統領になった民主主義の思想家ジェファソンの言葉である。この言葉の中には民主主義の欠陥がハッキリあらわれているのであるそれは人間軽蔑の思想である。人間は自分ひとりすら治め得ないところの愚かなものであるから、どうして他の人を治める資格があろうか、それだから多人数の会議によって最大公約数的結論を出さねばならぬと言うのである。
 
 
ところが民主主義の思想の、もう一つは「すべての人間は道徳杜会の一員として平等の尊敬を払われねばならぬのであって、その尊厳性は何人も侵すことができない」という人間尊重の思想である。この、一方に於いて人間を愚者として軽蔑しながら、他方に於いて「すべての人間を平等の尊敬をもって扱わねばならぬ」という矛盾命題の中で国民が生活せしめられるのであるから、民主主義社会に於いては常に内部闘争の契機を孕んでいるのである。
 
 
「三人寄れば文殊の知恵」とい諺(ことわざ)もあるけれども、「盲人が盲人の手引きをして崖から墜落する」というたとえもあるのである。盲人がいくら集団になったからとて目明きの聡明さになることはあり得ないのである。
 
 
民主主義は政治面では「人間は皆間違うものだから集団指導の必要がある」としながら、その教育面では人間尊重の主義から「個人的判断の自由は、それ自体究極的な善であるから教師や親の指導を必要としない、自分で考えて行動しろ」という立場をとるので、「間違うはずの人間が、間違うままの判断を自由に行使するのが善である」という矛盾的な行動に駆り立てられるのである。そこへもってきて、日本の現行の憲法では「表現の自由」が保障されているのだから、ここに学生騒動などの勝手な行動が「表現の自由」として許される倫理的根拠があるのである。
 
 
つまり民主主義というのは、内部闘争を通じて、常に試行錯誤を重ねつつ、次第に人類が進歩して行こうというのであるから、その試行錯誤の途上において、無数の無駄の闘争と、その闘争による犠牲者が出るということである。
 
 
犠牲というのは、必ずしも負傷するとか人命を損するとかいうことだけではない。順法闘争やストやサボで、自分の一生のうちの「持ち時間」即ち自分の寿命を、無駄に切り棄てて行くことである。なぜなら、その人の現象界での寿命は、自分の「持ち時間」だけのもので、無駄にストやサボで時間を棄てることは、自分のいのちを棄てつつあるのだ、ということに気がつかぬのは気の毒なことである。給料をあげてもらうために"自分のいのち"を棄てるのは愚かなことではないか
 
 

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サイタニ
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