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この混乱を救う道は
昭和四十三年
「人間は間違うものである」という考え方に出発して、「人間軽蔑の平等」的立場で今の政治が行われているところに、国内の混乱も闘争も大学生騒動も、何もかも悪いものが、その結果としてあらわれているのである。静かに座して、「すべての人間は神の子である」「一切衆生悉(ことごと)く仏性なり」の宗教的立場に立って坐禅し瞑想し祈りつつ国会の審議が行われるようにならねば、日本の政治の混乱は救われないのではないだろうか。
ここで前掲のジェファソンの言葉の最後の一節、「われわれは天使が人間を治めるために王者の姿をして現れたと考えるべきなのか」という彼の憧(あこが)れと歎息を思い起すがよい。民主主義と称する、多党化して自党の利益のみを主張してテンデン、バラバラになって争う内紛を常に内に蔵する政治形態よりも、もっとすぐれた政治形態への憧れがこのジェファソンの言葉の中にはあるのである。
それは、「天使が人間を治めるために王者の姿をして現れて人間を治めてくれる」という神話的な憧れである。しかしそれは決して単なる空想でも神話でもなかったのである。そういう天使の実現が日本にはあるのである。何党にも、いかなる閥にも属さずに「自分のからだはどうなってもよいから万世に泰平をひらくために戦争をやめる」と仰せられた天皇、みずからは戦争に反対しながら、多数決で民主的にはじまったあの戦争が終ると、「あの戦争の責任はひとり自分にあるから自分を罰せられたい」と占領軍司令官の前で自分ひとりが責任を引き受けようとせられた天皇ーこのような天皇によって政治が指導せられるとき、その国はジェフアソンの「人間を治めるために仮に王者の姿をしてあらわれた天使」によって治められることになり、どんなに国内に内部闘争や意見の対立があっても、その天使の〃鶴の一声〃によって内部闘争も意見の対立も消えてしまうのである。
このことは過去に於いて実際そうであった。終戦の時もそうであった。私はこうした天皇政治が復活することを待ちのぞむのである。日本国の不幸は天皇を政治の圏外に締め出して、私利私欲の固まりである個人及び党派の寄合い協議によって政治を始めることにしたことである。
谷口雅春著「私の日本憲法論」
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