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宗教的立場から云えば軍備は不要
昭和三十四年 こういう純粋な宗教的立場から申しますと、敵を予想しての軍備と言うものも不要である。況(いわ)んや一国だけの軍備では足らぬからアメリカと共同防衛するための「安保条約」も「安保条約の改定」も不要だと言うことになるのであります。
心によって敵が敵でなくなるのだから数百数千億円をかけてロッキード飛行機を二百機とか三百機とか防衛のために常備しておかなければならないなどと考えるのは凡そ不要なものに国民の租税をつぎ込んで浪費すると言う譏(そし)りをまぬかれないのであります。私は宗教家でありますから、そんな軍用飛行機も要らぬ、安保条約も要らぬ、心を調えることによって無敵平和の状態を現出することができると言いたいのであります。 そうです、「心」さえ本当に整えることができれば、身辺に起こるところの事件は、自分の「心」の投影でありますから、自分の周囲に平和が実現するのであります。しかし一国の運命はその国民大多数の心の反映でありますから、一人や二人や百人や千人や……或いはその宗教団体だけが平和の心になっていましても、日本国民の精神の大多数が「闘争精神」に満たされていたのでは、その国民全体の身辺に闘争を引寄せることになるのであります。
遠藤義雄さんもただひたすら南支の死刑囚獄舎で心を清め、もっぱら瞑想三昧でいたときには蚊も南京虫も食わなかったけれども、日本へ帰って来て、闘争精神の満ちた世界で浮き世の仕事をするようになったら現在は蚊にくわれるともその著書に書いておられます。 宗教的理想論から言いますと、実相の世界一実在の世界一には闘争もない、戦争もない、微生物との闘いもないから病気もない。だから唯、その実相完全な世界のみを見つめておればよいと言う訳でありますけれども国民全体がそのような心境にならない限り国家の運命もそのように平和にはならない。 外界を平和にするには内界を平和にしなければならない。ユネスコでも「戦争は先ず心の中に起こる」と言っています。ところが現に日本国民は議会でも闘争闘争で明け暮れている。最近では暴徒が議会に乱入したような不詳事件を発生しております。産業会社が労使双方に分裂して闘争精神を燃やしていない会社は稀だと言うことになっています。人間の心はラジオ受信機のようなものでありまして、闘争の精神波動を起こせば「闘争」を引寄せて具象化することになるのであります。
ラジオ・セットは六十ワット位の電力で動くから六十ワット位しかその番組に出て来ないかと言いますと、そうではなくてラジオ・セット自身は六十ワットでも、それに波長の合う番組であったら、次から次へと無限に番組がラジオ・セットに実現して来るのであります。そのように、国内での国民の闘争精神の規模は、国家全体の規模ではなく、炭労とか日教組とか国鉄労組とかいう風に限られた規模のものでありましても、それら闘争精神の波長は「人間ラジオ・セット」となって、世界あらゆるところの闘争の波長を引寄せることになるのでありますから、吾々一部のものが平和の精神波動を起こしていましても、吾々一部のものの周囲には平和が実現するでしょうけれども、日本国全体としてはやはり戦争の起こる可能性が現実としてはあるということになるのであります。
闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより致し方がないのでありまして、それは心の力によって害虫を撃退しうる心境に達していない限りは、噴霧器と消毒薬とによって自己防衛する体制を整えて置かなければ、害虫が侵入し蔓延してからは、もう手遅れになるのであります。つまり平和な心の力を駆使し得ないで、闘争闘争で、常に心を闘争精神で満たしている限りは、力によって侵入者の力とバランスをとって置いてはじめて侵略を未然に防ぐことが出来るのであります。
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