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正しい言論・行動を圧迫する現行憲法
現行の日本国憲法の第十九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とあり、その第二十一条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定められているのであります。しかし実際上、この「言論、出版その他一切の表現の自由」は、すべての国民に平等に与えられているであろうかと言いますと、戦前・戦中においては内務省警保局というのがあって、われわれ国民の言論や出版物の内容につき検閲を行なっていて政府の干渉のもとに言論の自由はありませんでしたが、現在では、憲法に、「検閲は、これをしてはならない」とありますから、政府の統制による制約も束縛もないのであります。
ところが現代ではマスコミの発達によりまして、その読者数、視聴者数が非常に多くなっているにかかわらず、「マスコミに何をのせるか、何を流すか」の自由は一般国民の自由にはならないのでありまして、実際には、そのマスコミを運営している編集者、プロデューサー、編成局員などの現場で働く知識人の肆意(しい)によって、左翼に有利な記事または場面のみを活字に載せ電波に乗せようと欲すると、いわゆる「表現の自由」によって思うままに左翼に有利な光景や記事ばかりを載せることができるのであります。だから、これらマスコミ機関を少数の左翼知識人が掌握する場合には、多数国民の発表したい言論は全然それらマスコミからは締め出されて発表する機会を封ぜられてしまい、あるいはわずかな自筆出版による部数のパンフレット、ビラ、街頭演説等でその意志を表現するほかはないのであるが、その出版部数や街頭演説の聴衆は限られており、また同じ街頭演説や日の丸行進などをやっても、反政府の左翼の編集者に牛じられている新聞・テレビ等は全然それをとり上げないに反して、赤旗のデモ行進や街頭演説は、何百万の読者・視聴者をもつ新聞・テレビにのせられるので、赤旗勢力のみが増幅されて伝えられ、それを視聴する全国民は、国民大多数の意志は、反政府的であり、それが一般世論であるとの錯覚を生じ、世論を歪んだ方向に引っ張ってゆき、国民感情をしてしだいに反政府的に誘導し、国民と政府との間を離間し、もって政府顛覆、革命成就の基礎をつくってゆく「積み上げ方式」がとられているのであります。現にそれが着々実践されてゆきつつあるのはまことに警戒すべきであります。これでは憲法において保障されている「国民の言論、出版、表現の自由」も、一部左翼革命家および文化人のみにゆるされている「言論、出版、表現の自由」であって、一般国民はそれにただ唯々諾々と追随し、示唆され扇動されてゆくだけで、それを是正する自由もないということになっているのであります。
これでは憲法の規定している「言論、出版、表現の自由」は空文であって、過去には軍閥がそれをいちじるしく圧迫していたが、今では、「言論、出版、表現の自由」を左翼のわずか数百数十名の知識人とそれに指導されている従業員とが独占していて、一般国民はただ「盲目的について来い」ということになっているのであります。新憲法は一般国民全体に「言論、出版、表現の自由」を平等に与えるために、憲法に「言論、出版、表現」に対して検閲を廃し、国家権力の干渉の絶対的排除を行ったのでありますが、現今のようにマスコミが左翼の知識人のみに指導編集されるような実情では、憲法の規定する「言論、出版、表現の自由」を一般国民に再分配するために、国家権力が、これに干渉して、左翼以外の言論表現にも平等に、その発表の機会を与えるよう監督する機関および規定が設けられねばなりません。そうでないと現在のマスコミの大多数は左翼ファッショの手に握らてしまって、一種の独占機関になっているのであります。
谷口雅春著「私の日本憲法論」 |
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