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常に暴力革命の危機を孕む日本国
昭和四十二年
佐藤首相のベトナム訪問反対のためのデモ隊が、警備車を奪って乱闘中にその警備車に一人の学生が轢(ひ)き殺された話をしてくれた翌日の新聞は、この記事で一ぱい賑わっていた。何でも負傷七百人以上、逮捕五十八人に及んだそうである。ベトナムの激戦一回だけではこれほど負傷者が出たことは未だ私は知らない。
全学連が立ち上がる基本的理由
第一にそれは現行の日本国憲法がこのような国内闘争を誘発することによって日本を弱体化するためにつくられているからであって、この憲法が存続しているかぎり、このような状態は今後ますます頻発して、ますます収拾がつかなくなるおそれがあるのである。 国内闘争激化の原因は現行の憲法が統治の大権を 天皇から剥奪して、主権が国民ひとりひとりに移ったことである。つまり中心が、一つ、でなくなり、したがって一つの中心に帰一して調和することがなくなり、中心が多元化して無数の国民が多数意見を自己主張することである。主張は国民にあるのであるから、全学連の一員といえども、総理大臣と同じく統治の権力をもっているのである。 そして憲法解釈が区々別々で衝突するようにしてある。この憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しょうと決意した」と宣言されており、これは明らかに「自衛権」および自主的生存権までも放棄しているのであり、 それに、第九条の、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求(ききゅう)し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ー前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という条項があるのである。 憲法前文と第九条の両者を総合して解釈すれば、国権の発動を棄て、自分の生存まで他国民の公正と信義とに信頼して、自分では自国を衛らないと宣言しながら、自衛権は当然あるべきだと強弁して現在の自衛隊が設けられているのである。 それは詭弁であり、強弁であり、日本国憲法が実際、憲法、としてあるならば、政府は、自衛隊をつくることによってみずから憲法蹂躙を敢えてしているのであるから、その政府の不当を質して矯正する権利が一般国民にあるのは当然であるのである。ここに全学連が立ち上がる理由がある。 その当然の権利を、日本国憲法はみとめていて、その第十ニ条に、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。……」とあるのである。その、不断の努力、というのは、ただ黙って不平をこらえていることではないにきまっている。努力というからには行動が伴わなければならないのである。すなわち、政府が、この憲法を蹂躙し、詭弁と強弁とによって軍隊をつくり、その政府の首相が「ベトナムにおいて国際紛争を解決する手段として武力による威嚇と武力の行使」を実行しつつあるアメリカと手を結ぶかのごとくベトナムおよびアメリカを訪問しようとするのは、国際的にも誤解を招くおそれがあるから、ベトナム訪問をやめてくれという、一部ではあるけれども国民の強烈なる要望があるのに、その国民の強烈なる要望に耳を(か)さずにベトナムを佐藤首相は訪問すべく出発するというのであるから、主権の存する国民として、それを阻止する努力を実践することは日本国憲法に定められた国民の権利および義務であるのである。 いわば、今度の学生の騒ぎでも、この憲法の保障する国民の権利義務を実践したのであって、もし全学連的行動が悪いというならば、その由って起こる原因を匡(ただ)して、現行の日本国憲法が悪いのであるから、抜本的に、現行の日本国憲法を改廃しなければならないのは当然であるのである。 この憲法が生きているとして存続させているかぎり、しかも憲法第九条に定めたる交戦権の放棄、軍力の放棄に反する自衛隊を存続させるかぎり、憲法に忠実ならんとする真剣な青年は、第十ニ条の「国民の不断の努力によって」憲法を護ろうと努力を実践するのであるから、第二、第三、第四…の、あのような不祥事を惹(ひき)起こす危惧を孕むのは火を睹(み)るよりも明らかなのである。無論、暴力、はよくない。第十六条には、…法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に關、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためいかなる差別待遇も受けない」と定められて、国民には、請願権、がみとめられているのである。しかし、それには「平穏に請願する権利」とあって、暴力を伴って請願する権利は無論みとめられていないのである。 谷口雅春著「私の日本憲法論」より抜粋
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