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限りなく日本を愛する
日本なるものの本質(過去記事11月21日掲載)
前章はある青年会での講和で、時間が限られてゐましたので、充分盡すことが出来ませんでしたので、本章には幾分重複する處があるかも知れませんが或るところで発表した一文をもって追加することに致します。私は「日本」を限りなく愛します。日本の現実の状態ではありません。「日本」なるものの本質を愛するのです。 私は日本民族の本質又は特殊性と云うものをその「古事記」神話の中に見出だすことが出来ると思うものなのです。これは具體的歴史よりも尚一層真実なるものであります。具體的歴史と云うものは、神話の中に現れたる日本の理想が徐々に現実に展開して行く過程でありまして、時にはそれが退転した如く見え、不完全にあらはれたり、行き過ぎたり、行き足らなかったり、脱線したりするのでありますが、結局は大観して観る時、全體としてその民族理想が一層ハッキリと顕現し行きつつあるのであります。
さて日本民族神話の特徴は中心帰一理念であります。それは、「古事記」の冒頭の「天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成(な)りませる神の名(みな)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の最初の行にそれが既にハッキリあらはれてゐると云うことであります。
・・・・省略・・・・
高天原とは地上の一箇所の地名ではない
(過去記事11月22日掲載)
ところで高天原と云うのは地球上の一地域の名称であるかのやうに思ってゐる人もありますけれども、これは決して、地球上の一地域ではありません。「高」は高く無限につづく縦の線「↑」をもって象徴する時間であります。「原」は横ひろがりに無限につづく空間をあらはす語であります。「天」は「天球」即ち球状宇宙を指してゐるのであります。「アマ」の語源は「顕(ア)れる円(マル)い」であります。時間と空間とが十字交叉して円(まる)くあらはれてゐる球状宇宙が「高天原」なのであります。即ち宇宙全體に鳴りひびいてゐる神(即ちコトバ)が天之御中主神なのであります。
・・・・省略・・・・
中心帰一の日本民族精神(過去記事11月22日掲載)
諸物の根元に、「中(みなか)」をみとめ、それを「主」として仰ぎ(み)て、常にそれに還元するところの日本民族の特殊精神があらはれてゐるのであります。無論、これは日本民族だけではなく、支那に於いても「大極より両儀(陰陽のこと)生ず」と云う風に、事物の根元に、「一」なる大極又は「中心位」をおいてゐる点は、日本も支那その他の諸民族も同じことではあります。併(しか)し、支那その他の諸民族に於いては、それを生活に実践しなかったのであります。 ・・・中略・・・・
それが日本では国のありかたの上に、その真理が実現してゐたのでありまして、特に日本が真理国家であると云うことが出来るのでありまして、そこが他の国と異なるので、まことに尊いのであります。
中道実相の日本精神(過去記事11月23日掲載)
日本人は天を仰ぎ見、地を附して見、そしてその根元に「中(みなか)」なる主をみたのであります。天に偏らず、地に偏らず。一方に篇して味方せず。中道なのであります。一方に偏るのは武人の専制になるか、プロレタリア専制なるか、どちらにせよ、その時の権力階級ファッショになります。中道はどちらにも篇しないのでどちらをも完全に生かすのであります。すべての人を神とみてどちらも完全に生かすとき、それが本当の民主主義になるのであります。しかし「中(みなか)」は決して悪平等ではありません。 単なる悪平等は、すべてを生かすことが出来ない。「発して節にあたる」のでなければならない。発(あらわ)れては節度おのずから整い、緩急おのずから調和し、万物栄え万民鼓腹するのであります。平等のみを主張して、すべての細胞又は内臓を一平面上に置いたら有機體たる生物は存在し得ないのであります。国家も有機體であることを考えなければなりません。 つづく
谷口雅春著「私の日本憲法論」
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