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特集 憲法をなぜかえなければならないか
○大極より両儀生ず(過去記事11月23日掲載)
偖(さ)てこの不偏の「御中(みなか)」よりして、高御巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)が生まれられました。「高」は、高く、逞(たくま)しく、猛々しいしく聳(そび)え立つ原理即ち凸の原理、「陽」の原理であります。「神産巣日神」は幽身(かみ)ムスビの神であり、幽(かすみ)に、風の如く、霞の如く、香(か)の如く、姿形がカクレてゐる「凹の原理」「陰の原理」であります。しかし陰と陽とを別々のものと観じないで、タカミムスビの神、カミムスビの神と、其の名の示すが如く互いにムスビ合うものとして相即相入の一体の神として陽神と陰神とを見てゐるのであります。 その陽神が、人格神とあらはれたのが、イザナギの命(みこと)であり、その陰神が人格的にあらはれたのがイザナミの神であります。「古事記」の原文は退屈になる人が多いので茲(ここ)では原文を省(はぶ)いて説明だけを申し上げます。イザのイは息(イキ)、又は命であります。サは「誘フ」「擦(さす)ル」「サラサラ」などの語にあらはれてゐるところの「相触れる」と云う意味であります。「陽」の息吹と「陰」の息吹とが互いに相触れる、その一方はナギ(男性)であり、もう一方はナミ(女性)であります。 「波」の文化を代表するものが「イザナミ」の神であり、「凪(なぎ)」の文化を代表するものが「イザナギ」であります。イザナミの文化は西欧文化であり、物質文化であります。ナミは水平でありますから「平等」を叫びます。人間の水平運動の要求であります。次に千々(ちぢ)に分裂いたします。西欧文化(物質文化)は分割文明であります。物質を分子を原子に分割し、原子を分割して原子爆発を起こして、一切のものを破滅さしてしまいます。労資を企業の一体として認めず、相闘う分割体として労組と経営者側とに分割し、ストを以て対抗せしめます。
一家族を一家族としてみとめず、個人単位、夫婦単位に分割してバラ々にしてしています。それは朝(あした)に甲の男に靡(なび)き、夕べに乙の男に通ずる不貞の文化であり、姦通公認、堕胎公認の文化であります。イザナミは「波」即ち「水」の文化でありますから、水極(みぎ)即ち陰極の文化であります。水極はミギ(右)でありますから右側通行の文化であります。女尊男卑の文化であり、女人が左(まえ)の衣服をまとふ文化であり、女性が帽子を着けて、男性が脱帽する文化であります。
西欧軍が日本へ上陸して何をしたかを上にのべたる原理に従って観察して頂けば西欧文化と云うものの特質がおのづから理解出来ると思います。それは結局、性の頽廃と、忠誠心の破壊と、広島と長崎とを原子力で灰儘に帰した如く全世界を灰儘に帰せんと破壊力を準備しつつある文化であります。「波」の文化はかくの如きものであります。それは漂うもの、無常なるもの、今一つの「波」があらはれてゐるかと思うと、その「波」は消えて次の別の「波」が現れると云う果敢(はか)なき文化であります。其処には萬世一系も久遠無(きゅう)もないのであります。選挙毎に交代する大統領の文化であります。
○イザナミ文化の無常性(過去記事11月24日掲載)
以上がイザナミの文化の特質でありますが、私はそれを否定しようと云うのでも排斥しようと云うのでもありません。それは西欧文化が受け持つべき役割なのでありますから、西欧は西欧でよろしいけれども、東洋特に日本の文化が、この西欧の文化を模倣する必要はないのであります。 ・・・中略・・・・
イザナミの文化は、イザナミの命は女性でありますから、女性文化であります。それはナミ(波)の文化、無常の文化、それが男性の天貫鉾によって貫かれなかったならば家(家庭・建設的なもの)を形成することが出来ない。どこへ流れて行くかもわからない。それはただの浮浪の文化であって、彼女を刺し貫いてくれる者が誰であるかによって、それは、原子爆弾のやうに破壊的にもつかはれるし、原子力利用の発動機のやうに建設的にも使はれるのであります。イザナミの文化はそれ自身では無常であり、無自性であります。まことにも東洋の文化は霊的文化であります。それは西欧の文化のやうに分割的ではありません。それは天貫鉾の文化であります。天啓として、天より天降って来るところの啓示の文化であります。それは霊の文化であります。分析にあらずして直観によって、全生命を一度に把握するところの直観の文化であります。だから名だたる宗教の教祖は釈尊は無論のこと、老子、孔子、孟子、達磨(だるま)、臨済、黄檗(おうばく)、弘法、傳教、法然、親鸞、日蓮等悉(ことごと)く東洋に生まれたのであります。西欧人が信じているキリスト教の教祖イエスも東洋の西端に生まれたのでありまして彼もまた東洋人であります。
・・・・中略・・・・
日本民族こそはこの西欧の水平分散浮浪の文化を、直観啓示の霊的文化によって刺し貫いて融合和解し、これを建設的に綜合(大和)すべきヤマトの使命を有するものだと云わなければならないのであります。
まことに「水火(みずほ)の国」とはこの水の文化を火(霊)の文化にて融合帰一すべき日本民族の先天的使命を直観的に表現した言葉なのであります。宣しく日本民族たるもの徒(いたず)らに西欧科学文明のみに陶酔することなく、この霊的大和の日本民族の使命を自覚せられたいのであり、特に、次代の日本を背負って立つ青年諸君に、私はこの自覚を促さんとするものであります。
○男性原理と女性原理の交合(過去記事11月25日掲載)
さて、陰陽不二の天之御中主神より、イザナギとイザナミとが分化し人格化してあらはれて来ましたときに、それは既に陽性原理、陰性原理と云うやうな抽象的な原理でなくなったのであります。それはすでに男性原理、女性原理と一層具体化の相(すがた)に於いてあらはれたのであります。 ・・・・中略・・・・
女性は陰極即ち「水極(ミギ)」であり、男性は陽極即ち「火足(ヒダリ)」であります。左が進み、右が退くのが霊性文化の特徴であり、
・・・・中略・・・・
だけども誰でも左手と右手とにはその働きの分担(謂はば天分)が異なるのでありませう。その基本的権利は全く同一でありながら、その天分が異なるのであります。同一生命の顕現でありながら、眼には眼の役目があり、胃袋には胃袋の役目があり、心臓には心臓の役目があるのでありまして、平等にして差別あり、差別にして平等なのであります。その差別を忠実に履行するとき、その平等の生命が生きて来るのであります。
平等のみを主張して悪平等に陥るとき、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と云いながら、「天は心臓も肺臓もつくらず、ただ細胞のみ平等につくりたり」と云うことになり、人間はバラバラの細胞に分解分散してしまって全體としての身體の自由は覆されてしまうのであります。
・・・・中略・・・・
心臓も肺臓も平等の権利を主張しても可いけれども、各々その役目をつくすことを放棄してはならないのであります。
つづく
谷口雅春著「私の日本憲法論」
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