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特集 なぜ憲法をかえなければならないか!
 
○“一生命体としての国家""組合国家"との相異
(過去記事12月6日掲載)
 
 自然の花の美しさは、その花弁が中心に於いてバランスを得ていところにあるのである。豆科の植物や、すみれ科の植物のように、全体の花弁の構成が円周的に輸状になっていない花にしても、必ず、左右シンメトリーになっているバランスの支点に中心があるのである人間の芸術になっている活け花の美は必ずしも円周的な輸状につくられないで、むしろ不等辺三角形をいろいろに組合わせた形になっているけれども、活け花を構成する花や葉や枝は、いろいろの方向に向いていながら"中心"にまとまる部分があってそこが重心となって倒れそうで倒れないところに生命的な美が表現されているのである。"中心"がなく、重心となるところを支点として各方向に射出した枝葉や花がバランスを得ていないならば、それは活け花としては拙劣で死んでいるのである。すべてのものは〃中心“を失ったとき、そこに死があり生命を失うのである。
・・・・中略・・・
さて、現行の日本国憲法に「主権は国民にありと宣言し」という宣言は、部分に主権があるという宣言であって、活け花の喩(たと)えをもっていえば、その活け花が美を構成するのに、その部分に過ぎないところの枝や葉や花にそれぞれ主権があって彼らがおのおの合議して“活け花"という芸術品ができたというような考え方が、いわゆる民主主義国家理論であるのであるそれはおよそ”生命あるもの””有機的存在者"の構成秩序に反するところの考え方であるのである。無論、外国の国家形成の順序には、人民の福祉と民族集団の防衛のため人民同士の協議により、集団組織を「組合」の如くつくりあげた種類のものがあるけれども、そのような国家に於いては統治権者が常に不安定であって、陰謀と軍事力によって王朝が常に代るか、国家主席が常に代るかして安定することはないのである。
そうなるのは、国家形成の秩序が、"生命体"の発生構成の順序に則(のっと)っていないので、"生命体"としての一貴性を欠いているので崩壊しやすいことになっているのである
 
○党派の利益のための民主政治(過去記事12月7日掲載)
 
民主主義は、特権階級の一般国民に対する強制を最少限にとどめ、国民の自発的協カを最大限に喚起する政治理念であるけれども、それが"自発的協力"を喚起するのであるから、利己的精神や党派根性の存在するところに於いては、自分自身または自分の属する党派の利益のために政治が行われる危険があるのである
・・・・中略・・・
民主主義政治は、一個人では力がないから徒党を組み、徒党(政党)の政治になっているから、その党の利害に従って政治の動向が歪められるのが常であるのである。これが民主主義政治の欠陥であるのである。この欠陥が埋められるためには、国民のひとりひとりの道徳的精神が向上し、利己心が最小限になる必要があるのである。
 
○大東亜戦争と天皇の御意志(過去記事12月8日掲載)
 
いままで天皇政治については、民主主義者や共産主義者側からいろいろ批判されて来たけれども、日本の天皇は、どんな徒党にも、どんな政党にも、どんな派閥にも、どんな階級にも属していられないで、国民ぜんたいの幸福を念願していろいろの政策に対して御裁可を与えられるのであるから、天皇政治ほど派閥に偏らず、公平無私な政治が行われる政治はないのである大東亜戦争の発端に於いても多数決で「アメリカを叩くほかに支那事変を早期解決にもって行くことができないので、アメリカに宣戦する」と議決せられたときにも、昭和天皇のみがその戦争に反対して、わざわざ明治天皇の御歌を筆写したものをポケットに携行しておられて、それをひらいて、
 
四方(よも)の海みな同胞(はらから)とおもふ世になど波風のたち騒ぐらん
 
と朗々と読み上げられて、戦争反対の意志を表明されたけれども、すでにその頃、民主主義の多数決制度が日本に行われていて、天皇政治ではなく、天皇機関説が実際に行われ、天皇は多数決せられた条件に、ただ御璽(ぎょじ)を押す一つの制度上の機関になつていたのである。
・・・・中略・・・・・
 
大東亜戦争開始の当時は天皇は機関であって自由意志がわれなかった。天皇は「四方の海同胞」の普遍愛の精神に立っていられて、明治天皇の御歌をお読みになつたが、天皇の平和意志は無視せられたのである天皇はどんな派閥にも、党派にも、階級にも属されない。だから昭和二十年八月九日、皇居の地下壕で「ポツダム宣言」受諾か否かの御前会議が行われた時にも、「無駄な戦争をつづけることは日本国民のためのみならず、世界人類にとつても不幸なことである。…自分の体はどうなってもよいから戦争をやめる」と仰せられるのは「無私」であり「無我」であり、どんな利己心をも超えていられるのであり、「国民のためのみならず世界入類の不幸である」と仰せられたのは、その御慈愛が単に日本国民のみならず普遍的に全人類に及んだ愛で、偏った執着の愛でないことを示しているのである。このように公平無私不偏不党、普遍的な精神で行われる政治が天皇政治であるのである民主主義の政党政治で、党利党略、自党の利益のためにはどんな権謀術数でも憚らずに用いる政治の如きは、天皇政治の足もとにも及ばないものであるのだ
 
 
○国が栄えるためには国民の努カを集中する目標が必要
(過去記事129日掲載)
 
.国が栄えるためには、その国の国民が、共通の目的のために、国民の努力を集中できるような国家理想をもたなければならないのである。昔の日本国は「天皇」が国家理想の表現体であつた天皇の大御心(おおみこころ)の中に「神意」を日本民族は見たのであつた。天皇は神聖で神聖であり、武家政治の時代に於いてすらも、その政権は天皇から授かる神聖なるものと感じとつていたので、征夷大将軍になるのも、関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)になるのも天皇によって任ぜられたのである。その頃は、内部に政権争いや戦争があっても、究極のところでは国民が一つの国家理想によって統一せられていたのである
 
しかし現在の日本国民は、国民ぜんたいが心を一つにして努力を集中するよう国家理想を見失ったのである。占領軍の強圧によって書かしめられた天皇の“人間宣言の詔勅“と占領憲法とによって、天皇は”神“でなくなり、天皇を国家理想の表現体と見る人は暁天(ぎょうてん)の星のように少くなったのである。そして日本国の国家目的が民主主義杜会の建設であったり、共産主義杜会の建設であったりして、支離滅裂の各人てんでんバラバラな目的をもって国民の精神が分裂してしまっているのである。
国民全体共通の国家理想実現のために協同して努力できない日本国の現状ほど、われわれ愛国者にとって悲しむべきことはないのである。私は「目本国民よ、もう一度、神武天皇建国の日本精神に立ち帰れ」と叫びたいのである。
 
日本の天皇政治を民主政治と対立し互いに相反するものだと考えるのは間違いであるのである。天皇政治の中に於てのみ、本当の「派閥のない民主政治」が育ち得て、私利私欲の追求で互いに憎しみ合うような民主主義が姿を消す可能性があるのである。天皇のみが私利のない私欲のない、世界万民の幸福を希(こいねが)い給う偏りのない「神聖権威」であるからである。この偏りのない「神聖権威」を上に奉戴して民主主義の政治が行われるときに、私利私欲による派閥闘争の汚れたる精神が浄められることになり、本当にルール。を守った民主政治が行われることになるのである神聖権威を上に奉戴しないで、利己主義精神の顕現である個人が、利益追求の組合組織を国家と考えて、そこで、利益の相似た者同志が徒党を結んで政党を結成して、国会及び院外に於いて闘争するようなのは、「下の下」の民主主義政治なのである。現今の日本の民主政治は、この「下の下」の民主政治に過ぎないのである。
 
つづく
 
谷口雅春著 「私の日本憲法論」
 
 

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