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天皇には基本人権も選挙権もない、象徴とはシルシ、符号であり人間ではないのである。
憲法復元か、革命か
象徴としての天皇の虚位について(過去記事1月28日掲載)
占領憲法は元首でない天皇、主権のない天皇、いつでも"主権をもつ国民“から馘首(かくしゅ)されても仕方のない虚位の天皇をつくったのである。主権が全国民にあるのだから、多頭国家ができあがったわけである。八岐大蛇(やまたのおろち)によって占領された恰好である。天皇は元首でないから、私が『憲法の正しい理解』の中で指摘しておいたように、「国賓を迎えられた場合、自衛隊の儀仗兵(ぎじょうへい)を閲兵する資格がないから、国賓が閲兵する間だけ、天皇はそっと片隅へ避けてしょんぼり立っておられる」と、武藤貞一氏も、「お気の毒で正視に堪えぬ有様である」と評しているのである。
天皇に主権がなくなったために、誰に主権があるかというと、国民のすべてに主権があるというわけであるが、実際は、国民は代議士を選挙のときに一票を投ずる権利があるというだけが民主主義というわけであるが、天皇には、一票を投ずることすら許されないのである。天皇には基本人権もなければ、選挙権も被選挙権もないのであり、一般国民には自分の名誉を穀損するような虚偽のことでも書かれれば名誉駿損で訴えることもできるが、天皇は悪口を書かれても、天皇は名誉段損で訴訟する権利もないのである。象徴というものはシルシであり、符号であり、人間ではないからである。
天皇に大権を奉還すべし(過去記事1月28日掲載)
天皇が「国家統治の大権」を一時喪(うしな)われたのは、天皇の発意(ほつい)ではなく、占領の圧力によって、占領軍の威圧による命令によって占領憲法が施行せられた結果である。だから、占領が終了すれば、「国家統治の大権」は自然に天皇に還って来るべきはずのものである。ところが、占領のドサクサによって、占領軍からもらった「国家統治の大権」を天皇に奉還することを怠って、それをよいことにして「国家統治の大権」を僭越(せんえつ)にも壟断(ろうだん)しているのが、日本国の総理大臣閣下である。日本の総理大臣が、占領軍から貰った「日本国家統治の大権」を天皇陛下にお返し申し上げないということは何たる不忠の事であろうか。だから、私は『占領憲法下の日本』の最後の章にも、よろしく自民党政府は、国家統治の大権を天皇に奉還し奉るように慫(すす)めておいたのであるが、何の反応も得られないのはまことに残念なことである。
なぜ、総理は大政を奉還しないか、その分析
(過去記事1月29日掲載)
天皇に大政を奉還すべしと私が説くと、"もと皇族"とかいう匿名の人から投書をいただいたが、それには、「現在の状態で天皇は、何の責任もなく、気楽であって、この天皇に再び国家統治の責任を負わし奉ることはかえって不忠のことである。現在の象徴天皇がもっともよろしい」という意味のことが書いてあった。しかし私が考えるのに、男子いやしくも此の世に生まれて、何の責任もなく、皆の決めたことに、自分の意見を述べる権利もなくただ判を押させられる役などになっていて、はたして生き甲斐が感じられるであろうか。何の仕事も責任も与えられないで、裕(ゆた)かに生活をする保障だけを与えられているものを、或る人は「飼い殺し」と名づけていた。誰でも平杜員から係長になり、課長となり、部長となり、重役となり、杜長となるべく努力をつづけているのは、一層責任のある地位について男の生き甲斐を感じたいからではないか。そして日本の総理大臣が、占領軍から貰った国家統治の大権を、占領が終ってからも天皇に奉還したがらないのは、精神分析的に観れば、やっぱり、男子いやしくも此の世にうまれて、国家統治の責任という最も大なる責任を担い続けていることが、どんなに気持がいいことかしれない気持があるからではないか。
つづく
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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