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つづき 都民をおびやかすメーデーを護る

貴下は、『メーデー実行委員会と連絡をとって自主統制をすすめてもらい云々』と言ったというが、東部コースを、突如として西部コースに切りかえ、渋谷駅周辺において暴れ回り、一時的に無警察状態を現出した一大事実は、完全なる『自主統制』過信から来た貴下の重大責任であると思うがどうか。
(もし皇居方面にでも急転していたらどうするか)

しかも、その数、千五百という大部隊であり、東部コースに待機せしめていた機動隊を周章狼狽急転渋谷駅周辺に集中せしめるのに相当の時間をとった事実は、完全に裏をかかれ虚をつかれたわけで、過信と状況分析の不備と特に爾前(じぜん)の情報収集の徹底的不足にあったと思うが如何がであるか。

以上により、渋谷駅方面急転の際、沿道都民に非常な不安感を与えた事実に対してはどのように責任を感じているのか。……貴下は、『違法行為は、大局的な視野に立ち、軽い違反や偶発的な小さな事犯は実害の程度、行為の悪質性をシッカリ判断して、できるだけ警告措置にとどめよ』と言ったいうが、事前に万全な情報収集と精密な情報分析と、大局的な処置原則を打ち立てずに、当日、その場その場で『違法行為』を『シッカリ判断』することなど、非常の場合全然できるものではない。極左勢力がそこをねらっていることは火を見るよりも明らかである。特に、彼等が『できるだけ警告措置にとどめよ』などという治安、警備当局の甘くて青白い消極態度を最も待望していることは、これまた掌(たなごころ)を指すよりも明白である。……

“、……”、としたところは、引用するにはあまり長すぎるので、中略したところである。私しが指摘したいのは、知事が革命思想家から出ると警察側まで革命準備運動に媚態(びたい)を呈し、その便宜をはかって反革命側勢力の動きに対して警戒を厳重にして、革命側闘士やその行列に対してその行動しやすいように偏った警備をするということである。だから地方選挙は、「国家全体のことに関しないで、一地域の自治の問題だから、誰が知事や市長になってもよい」というわけではないということに注意をうながしたいのである。
 
警察すらそうなるのであるが、現行の憲法では自衛隊は帝国憲法のように「天皇の軍隊」でないから、一朝政変が起こって革命政権が樹立されたら、革命政府の指揮下に入るすなわち革命政府軍となる危険をはらんでいることである。私は今の自衛隊員がそんな骨なしではないと信ずるけれども、現行憲法では法制上そういうことになるのであるから、非常に不安定な基礎の上に一国の軍力が置かれているということである



                     谷口雅春著「私の日本憲法論」
 
 
つづき 都民をおびやかすメーデーを護る

                        昭和四十二年
 
 
「・・・・・午後四時頃、渋谷駅付近において、千五百名に及ぶ激派学生の大デモ隊による相当規模の騒擾(そうじょう)事件が発生し、警視庁機動隊多数ともみ合い、学生八人が負傷し、十七名が逮捕され、この間約二時間近く同駅前が大混乱した事実である。

これは、反代々木系全学連の一隊であり、逮捕適用の法律は『都公安条例違反』と『公務執行妨害現行犯』であった。また、この全学連一隊は、午後二時過ぎ、大会場からデモ行進に移るとすぐ、激しいうず巻きデモに移り、かつ予定の東部コースを急に西部コースに変え、水道道路、渋谷区役所前、渋谷駅、道玄坂、玉川通りを波状的に違法デモを繰り返し、同四時ごろ、渋谷駅ハチ公前広場に集合、気勢をあげたので、東部コースに待機していた機動隊は急遽渋谷駅へ移動し、約一時間のはげしいもみ合いののち、坐り込み学生約三百に対するゴボウ抜き作戦でようやく鎮圧、解散させたという。

さらに、一時駅前が大混乱におちいったのは、一般乗降客のラッシュ時に重なったのと、その上に、渋谷駅前で解散した西部コースのメーデー参加者たちが、国電、井の頭線、地下鉄等を利用して帰るのとぶつかたためであるという。われわれの実際調査によっても、この騒擾、混乱は想像以上にはげしいものであり、東部コース待機の大量機動隊が、青山通りを渋谷駅前へサイレン鳴らしっぱなし、フルスピードで、ジープ、トラック、装甲車等により全面移動するすさまじさ、充分昭和三十五年安保動乱当時の一部再現を思わしめるものがあり、沿道都民を非常な不安感におとしいれた。特に、重要なことは、この千五百名の大デモ隊が口々に『メーデーの真の意味は祭典ではなく、戦うことだ!』と叫びながら激烈な違法デモを強行しやまなかったという事実である。これは代々木日共の『真意』でもあるのだ。」
 
 
このような事件の発生に対して大東塾からは、「我等は、ここに於いて、秦野警視総監貴下に対し、前掲の如き、貴下の『軟弱微笑メーデー対策』に就き、その厳粛なる失政の責任を問わんとするものである」と準公開状を叩きつけているのである。準公開状というのは、雑誌・新聞等に広く公開されていないで、同志、知人、有名人などの中の理解ある人たちだけに印刷物をもって配布された公開状という意味である。影山氏は秦野警視総監に対(むか)って言う。その一節を次に抜粋する。「……貴下は、一方的に『妨害するものは徹底的に排除せよ』と命じたというが、これについても、前言同様、厳粛に、『本気の発言であるのか』、『戦術的、政治的発言であるのか』をたずねたい。『妨害』には、少なくとも二種の場合があるであろう。『祭典』としての平和な行進に対し、やみくも襲いかかるるような『狂的あるいは半狂的な非行』として行われる場合と、『祭典』の表相の裏で、その狂暴な革命的爪牙を打ちふるって故意に国家の治安を乱し、みだりに良民に多大の迷惑を及ぼしてかえりみないごとき極左的不当に対し、『民族防衛』の意味において敢然として立ち向かってゆく場合とである。いわゆる愛国陣営のごくごく一部には、前者のごときものも皆無とは言えないかもしれないが、その多くは後者のごとき決意と志向に立つものである。後者的なものまでを、貴下が頭から一方的に否定し、これと対立、対決せんとするのであれば、貴下は『保守派の警視総監』でなく、『革新派または革命派の警視総監』ということになると思うが如何がであるか。

つづく
 
 谷口雅春著「私の日本憲法論」
 
 
 都民をおびやかすメーデーを護る

現行の憲法がいかに、正しい方の言論や行動を圧迫しているかについては、武藤貞一氏が『動向』誌の四十二年六月号の巻頭言において「何もかも憲法違反」と題して次のごとく書いている。

あれも憲法違反、これも憲法違反、今度は都公安条例のデモ取締まりに憲法違反の判決を下す『進歩的』判事が出たいまに殺人も放火も人間の権利だ、これを罰するのは人権憲法に背くといい出す気違いが出ないとも限らない。今や自民は、憲法を盾にとって攻め寄せる暴力団と、おしゃべりグループの前に生きた心地もない。『憲法』は油断もスキもならぬ良民の生活阻害者として大きく立ちふさがっている。

国を守る軍隊(自衛隊)、良民を護る警察が、憲法のわずかな隙間からしか手が出せぬ存在とあっては、もうなんにもいうことはない。ただ恐れ入るだけである。あの大道を埋めてあばれまわるジグザグデモが合意で、これを規制する警察の方が違憲だというんだから、この国の住にくさが、良民であればあるほど切実に頭へ来る」と。
 
 
誰でも正しい人で愛国者で、国を思う人ならば、このように考えるはずなのである。武藤貞一氏は戦争中、朝日新聞の、天声人語、欄を受け持って、その名文と警世の論策に一世を風靡した思想家である。ここに指摘されているジグザグデモのことは五月一日のメーデー当日のことであると思うが、革命系の美濃部知事が就任すると、東京都の治安を維持し、都民の安全を護る側の責任者である秦野(はたの)警視総監が、良民よりも革命側の行動の安全と便宜とをはかるために、つぎのような訓辞を、管下の署長会議の席上で与えたということが報ぜられているのである。

つぎは大東(だいとう)(じゅく)から発せられた準公開質問状による。
メーデー実行委員会と連絡をとって自主統制をすすめてもらい、適切な交通整理と効果的な広報活動で一般交通の確保とメーデー参加者の安全をはかること。

違法行為は大局的な視野に立ち、軽い違反や偶発的な小さな事犯は実害の程度、行為の悪質性をシッカリ判断して、できるだけ警告措置にとどめよ。

メーデーに反対する団体、個人が会場や各コースで妨害行動に出ることを十分考え、これらの行動を事前から警戒すること。社、共、各党、各種組織団体の幹部などの身辺警護にも十分注意すること。

以上のごとき三点に具体的指示を与えたいということである。しかるに大東塾塾長影山(かげやま)正治(まさはる)氏の「秦野警視総監に呈す」なる半公開詰問状によれば、重大な交通妨害デモが起こっているのである。
 
 
 
                                     谷口雅春著「私の日本憲法論」
 
 
正しい言論・行動を圧迫する現行憲法
 
現行の日本国憲法の第十九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とあり、その第二十一条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定められているのであります。しかし実際上、この「言論、出版その他一切の表現の自由」は、すべての国民に平等に与えられているであろうかと言いますと、戦前・戦中においては内務省警保局というのがあって、われわれ国民の言論や出版物の内容につき検閲を行なっていて政府の干渉のもとに言論の自由はありませんでしたが、現在では、憲法に、「検閲は、これをしてはならない」とありますから、政府の統制による制約も束縛もないのであります。


ところが現代ではマスコミの発達によりまして、その読者数、視聴者数が非常に多くなっているにかかわらず、「マスコミに何をのせるか、何を流すか」の自由は一般国民の自由にはならないのでありまして、実際には、そのマスコミを運営している編集者、プロデューサー、編成局員などの現場で働く知識人の肆意(しい)によって、左翼に有利な記事または場面のみを活字に載せ電波に乗せようと欲すると、いわゆる「表現の自由」によって思うままに左翼に有利な光景や記事ばかりを載せることができるのであります。だから、これらマスコミ機関を少数の左翼知識人が掌握する場合には、多数国民の発表したい言論は全然それらマスコミからは締め出されて発表する機会を封ぜられてしまい、あるいはわずかな自筆出版による部数のパンフレット、ビラ、街頭演説等でその意志を表現するほかはないのであるが、その出版部数や街頭演説の聴衆は限られており、また同じ街頭演説や日の丸行進などをやっても、反政府の左翼の編集者に牛じられている新聞・テレビ等は全然それをとり上げないに反して、赤旗のデモ行進や街頭演説は、何百万の読者・視聴者をもつ新聞・テレビにのせられるので、赤旗勢力のみが増幅されて伝えられ、それを視聴する全国民は、国民大多数の意志は、反政府的であり、それが一般世論であるとの錯覚を生じ、世論を歪んだ方向に引っ張ってゆき、国民感情をしてしだいに反政府的に誘導し、国民と政府との間を離間し、もって政府顛覆、革命成就の基礎をつくってゆく「積み上げ方式」がとられているのであります現にそれが着々実践されてゆきつつあるのはまことに警戒すべきであります。これでは憲法において保障されている「国民の言論、出版、表現の自由」も、一部左翼革命家および文化人のみにゆるされている「言論、出版、表現の自由」であって、一般国民はそれにただ唯々諾々と追随し、示唆され扇動されてゆくだけで、それを是正する自由もないということになっているのであります。


これでは憲法の規定している「言論、出版、表現の自由」は空文であって、過去には軍閥がそれをいちじるしく圧迫していたが、今では、「言論、出版、表現の自由」を左翼のわずか数百数十名の知識人とそれに指導されている従業員とが独占していて、一般国民はただ「盲目的について来い」ということになっているのであります。新憲法は一般国民全体に「言論、出版、表現の自由」を平等に与えるために、憲法に「言論、出版、表現」に対して検閲を廃し、国家権力の干渉の絶対的排除を行ったのでありますが、現今のようにマスコミが左翼の知識人のみに指導編集されるような実情では、憲法の規定する「言論、出版、表現の自由」を一般国民に再分配するために、国家権力が、これに干渉して、左翼以外の言論表現にも平等に、その発表の機会を与えるよう監督する機関および規定が設けられねばなりませんそうでないと現在のマスコミの大多数は左翼ファッショの手に握らてしまって、一種の独占機関になっているのであります。



                    谷口雅春著「私の日本憲法論」

日本は戦略的枢要の地位にある

スイスやスウェーデンは中立であっても何処からも侵入されないではないかという反論もありますが、不幸にして、日本はスイスやスウェーデンと異なって、戦略的に重要地点を
占めております。そしてその重工業方面の発達と国民の工業生産能力とは、これを自分の陣営につけて自国の兵器廠としたら非常に自国の軍事力の増大ともなります。


そういう点で日本は垂涎おく能わざる「美女」とも言う訳でありますから、戦略上たいして価値のないところの「スイスやスウェーデンが中立であってもソ連圈から侵略を受けないではないか」と言う反論は成立たぬと思うのであります。
 
 
そのような点の専門的に詳しいことは次の先生が話して下さると思うのでありますから私はここに述べないことに致しますが、平和をモットーとしなければならぬ宗教家が何故日米安保条約に賛成するかと言いますと、現在の日本人の最大公約数的精神は、平和精神ではなく、闘争精神でありますから、仏教的三界唯心の原理によりまして、その闘争精神は必ず、同波長によって戦争を引き寄せる可能性がある。だから、そのように「心」によって戦争を起こさせないようにすることができない場合には、第二善として「力のバランス」によって、日本を侵略不可能ならしめなければなりませぬ。


軍備も安保も不要だと云う論は理想論であって、現実には調和しないのであります。人時処(じんじしょ)の三相応(そうおう)がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。
 
 
軍備不要も安保不要も、現代と云う「時」に於いて、米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると云う「処」に於いて、まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と云う隣国を控えている現在に於いては、どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方ないと私は考えるのであります。


                    谷口雅春著「私の日本憲法論」



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