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二、グルリ一遍(いっぺん)
今日は雨です。雨の日の仕事に米搗(こめつ)きがあります。臼(うす)に入った玄米を杵(きね)で搗(つ)いて糠(ぬか)をとりのぞいて白米にするのです。
金次郎は米搗きをしながら本を読むにはどうしたらよいか考えました。臼のそばに箱を高く積み重ねて置き、その上に『大学(だいがく)』や『論語(ろんご)』の本をのせます。
まず一節読みます。それを味わったり唱(とな)えたりしながら杵で米を搗き、臼の周囲をぐるりとまわります。そしてもとの場所へもどってきたとき次の一節を読む、というふうにして読書しました。それで金次郎のことを「グルリ一遍」と呼ぶようになりました。
三、キじるしの金さん
金次郎は、こうして日々を明るくいそしんでおりましたが、寛政十二年 (一八○○年)、父は病の床についたまま、ついに帰らぬ人となってしまったのです。母よしは、三人の子どもを育てながら家を支えていかねばなりませんでした。
「みんなで力を合わせてやっていこうよ」
母を励ましながら金次郎は田畑へでて働きました。朝はうす暗いうちに起きて山に行きます。木をきって薪(まき)をつくり、それを町へ持っていって売るのです。夜は縄(なわ)を綯(な)い、わらじをこしらえます。それらを売ったお金で日用品を買うのです。わずかなお金ではありましたが、金次郎の家にとっては有り難い、なくてはならないお金でした。
そして金次郎は、暇(ひま)をみつけては以前父に手ほどきしてもらった『大学』や『論語』などの本を読みました。本を読み、考えます。
生活しながら考え、自然を見つめては考え、また読みます。働いて一家を支えている金次郎に、学問は生きる道すじや物事の理(ことわり)を示してくれ、未来に明るい光を感じさせてくれるものでした。
ですから金次郎は風呂を焚(た)きながらも本を読みます。薪(たきぎ)を背負(せお)って町に売りに行くときも手放しません。
「おいみろよ。キじるしの金さんだよ」
「百姓に学問なんかいらないのになあ」
「本を読みすぎて頭がおかしくなったんじゃないのか」
と村人たちがうわさします。
突然、金次郎の声がします。それも大声です。
「大学の道は、明徳(めいとく)を明(あきら)かにするにあり。民(たみ)に親(した)しむにあり。至善(しぜん)にとどまるにあり」
声高らかに『大学』の中のことばを口ずさむのです。いつでも、どこででも、本を読み高らかに唱えるのですから、
「やっぱりキじるしの金さんだなあ」
と村人は語りあうのでした。
つづく
財団法人新教育者連盟 「二宮金次郎」より
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2012年10月02日
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