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唯物論に立つ日本国憲法
しかし残念ながら今の日本国の政治は、憲法そのものが唯物論的であります。唯物論は、原子・分子が集まって全体ができるという物の考え方に立脚するのであります。即ち部分が先きで全体が後であると言う。国民と云う部分が先ず在って、それが集まって国家という全体を拵(あつら)えているんだと云う唯物論的立場に立つのが今の日本国憲法であり、この憲法によって、現在の日本国及び国民の生活の在り方が決められているものでありますから、全てのことが唯物論的になっており政治もその通りなのであります。ですから昨年癌研究費として大分、多額の金を政府が出したけれども、みな物質的な癌の研究をする所へばかり補助金が出されたのであります。
さて、この唯物論と云うものは、存在を細かく分子に還元し分子を細かく分けて原子とし更にそれを細かく分けて素粒子にして、その素粒子と云うような小さいものが集まって全体が出来るのであると云う機械観的な世界観なのであります。それが結局日本国を如何に観るかと云う国家観と云うものにも現われており、そう云う考え方が基になって今の憲法が出来ているのであります。この憲法は民主主義憲法と言われておりますが、民主主義と云うのは、最犬多数の国民の幸福を目的とする政治的イデオロギーであると思うのであります。しかし最大多数の人間の幸福と云ってもその「人間の把(とら)え方」と云うものが唯物論的であり、その上に現憲法が成り立っているのであります。それには人間の幸福を護るように書いてありますけれども「人間とは何ぞや」と云う根本の把え方が唯物論的であり肉体主義なのであります。ですから現憲法では例えば、その第二十四条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とありますが、この文章の通りに解釈したら、婚姻即ち結婚は両性のセックスが合意したら、それのみに基いて成立すると云うのであります。両方のセックスのみが快楽を得て幸福感を得られるなら、その結婚は成立すると云うのであり、其処には魂的なものは少しも書かれていないのであります。「両性の合意のみに基いて成立し」と「のみ」まで附いている処に注目すべきであります。だから両方のセックスの合意以上のもの、本当の愛と云うようなものであって結婚するなら、もう既に現憲法違反と云うことになる恐れがあるのであります。況(いわん)や親に相談をしたりしたら憲法違反であると云うことになるのです。そう云うふうに肉体の快楽のみが中心になって結婚と云うものは成立するのであると書かれている。此処に明かに、現憲法と云うものは民主主義憲法とは言うが、肉体民主主義憲法であって決して人間を霊的存在として認めている憲法ではない生言うことが出来ると思うのであります。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2012年11月03日
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