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現行憲法が生み出した色々の社会的不祥事 (昭和42年)
だから幾ら人間を尊重する憲法であると言っても根本的に人間をセックスから産まれて来たところのそう云う低い次元に於ける唯物論的人間として認めているのでありますから、本当に人間の尊厳と云うものを認めている憲法ではないのであります。
だからセックスの快楽のみが重んじられて、その結果生じたところの胎児は堕胎してもよいという法津がこの憲法を背景に出来ているのであります。更に現憲法には団体争議権と云うものが認められております。大変便利なようでありますけれども結局赤い思想の人達がこの憲法の条項を利用して革命準備演習をするのを停めることが出来ないように作られているのです。で、毎年の定期闘争の如く、総評議長の命令一下、忽ち日本の大動脈であるところの国鉄を全部止め得るところの権利を持っている訳なのであります。で、何干万人の国民の足が奪われて、国民がどんなに迷惑を蒙っても「我々働く者がもっと多く給料を貰いたければ、闘争して国民の足ぐらい止まってもいいじゃないか。儂のふところさえ肥ればいいのである」という利己的な餓鬼道的な人間の物質的慾望の上に更に慾望を飽くなく追求して闘う煩悩を正しいとして基本人権として肯定しているのが現憲法であります。これは結局癌細胞が「儂さえ増殖して肥れば全体としての肉体が弱って行こうがどうでもいいじゃないか」と言って愈々(いよいよ)増殖して行くようなものであり、そう云う考えが現憲法の奥にあると考えられるのであります。
ところで、全てのものが「心の世界」に始まり、その「心の世界」に在るものが「形の世界」に映って来るという点から言いますと、これから申すことは、皆さんがお聞きになると少し飛躍的だとお考えになるかも知れませんが、戦後癌が日本人の死亡統計の第三位に伸し上がって来て、それで皆が癌の恐怖で震え上がっているのは、「心の世界」に癌細胞のような「自分さえ膨れ上がって増殖したならば国民全体が幾ら迷惑してもいいじゃないか」と言うような政治理念があって、それが日本国全体を蔽(おお)っているので、その精神的影響が個人個人の肉体の上に影響を及ぼして来ているのであると思うのであります。全て心の世界に在るものが形に現われて来るのでありますから。
或いは交通事故対策というようなことが盛んに唱えられても、ジャリトラックが無暗に積載量以上のジヤリを積んで走り回ったり、人を轢(ひ)いて何とも思わないというのも、結局は「自分さえ肥れば自分の収入さえ増えればよいのである」というような唯物論的考えから来ているのでありまして現憲法が唯物論的哲学により成り立っているものですから、そのようになってしまっていると思うのであります。
つづく
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2012年11月04日
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