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 臓器移植について想う
昭和44
 
札幌医大の和田教授によって心臓移檀手術を受けて、一時、小康を保っていた宮崎信夫君が死んだ。宮崎君は、その死の晩、テレビ放送を見て、愉快そうに笑っていたほど元気であったのに、その夜、疾(たん)が気管に引っかかって、普通人なら、咳によってその疾を排出することができるのに、信夫君は、その疾を排出するだけの咳を出すのには体カが足らぬので、ついに疾を排出することができないで、疾で気管がつまって窒息死してしまったというのである。
 
 
和田教授は、しきりに「あれは拒絶反応ではなかった」と弁解した談話を発表していたが、教授は"拒絶反応"にあまり注意を奪われて、心臓それみずからの搏動カと、他の筋肉の力む時に要するエネルギーのバランスのことについては注意を怠っていたように私には見えるのである。
 
 
私は小著『健全の真理-生活応用篇』という本の中で、内臓それぞれには内臓精神があり、細胞それぞれには細胞精神があり、それ自体はそれ自体で生きているのであるから、肉体のある部分が病気に罹つたとき、その細胞精神や内臓精神に「精神統一的念力」によつて呼ぴかけて、内臓や細胞の働きを活発にするための思念法がある程度効果あることを書き、その“呼びかけ“のための”思念する言葉"を書いておいた。これは内臓の一つ一つに精神があり、細胞の一つ一つに精神があり、生きているという原理にもとづく方法であり、その学説は、蛙の生きた心臓をリンゲル氏液の中に入れて新しい栄養を補給して生かしておくと長期間その心臓が搏動をつづけて生きていたり、人間の腎臓の紬胞をとり出して、リンゲル氏液の中で同じように培養液を常に新たにして、新しい栄養を補給すると、その細胞は長期間生きていて細胞分裂をつづける、などという実験者の報告主報告と一致するのである。しかし、その生きている細胞や、臓器を部分品として繋ぎ合わし、縫い合わしさえしたら一個の人格ある個性を備えた「生命体」が成り立つかというと、そこには疑問があるのである。 
 
 
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
 
 

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