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天皇政治こそ民利にかなう
日本天皇の天皇政治がもし完全に行われるならば、国民を“大御宝(おおみたから)”としての政治が行われるのである。すなわち神武天皇建国御即位の詔(みことのり)には、次の如く君民一致の国是(こくぜ)が示されているのである。
「…夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に随う。苟(いやしく)も民に利有(くぼさあ)らば、何(いか)にぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わん。且(ま)た当(まさ)に山林(やまばやし)を披(ひら)き払い宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位(たかみくら)に臨み、以て元元(おおみたから)を鎮むべし。上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(またよ)からずや。」
国民のことを漢字にては"元元。の字をもって当てられていることに注意しなければならない。元はハジメであり、本であり、国家成立の本元をなすものは国民であるとの神武天皇建都即位の御理想は、天皇政治そのままに民主政治であることが表現されているのである。
上の詔勅を更によくよく拝読すれぱ、天皇はその国を私有のものと観(み)られないで、「上は即ち天津神の国に授けたまう徳に答え」(漢字を解読しやすい字におきかえた)と仰せられた。すなわち天の大神より国を授けられ、それを治めるように預けられたものであるという敬虔なお気持があらわれているのであって、武力で先住民族を征服して国土を奪取したというような考えが微塵もないことに注目しなければならないのである。
そして、「それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ」と仰せられたのを解釈すると、漢字の「大」は〃天徳"をあらわすのである、すなわち「大人」とは"天徳を受けた人〃という意味であって、現代語でいえば「神の子」ということである。神武天皇はみずから「神の子」の自覚をもって、神からこの国を治めるようにと委託せられてこの国を神からお預り申しているというような、尊貴の白覚と同時に謙遜の徳をも,って、この国を統治せられた。これが天皇政治の特色であるのである。
「大人」と書いて、日本読みで〃ひじり"と読むのは、“ひ“は〃光"であり、〃じり"は著(いちじる)しいという意味で、〃神の子"すなわち〃光の子"であり〃光著し"との御自覚のあらわれであり、世を照らす真の光として自分は此の世に生まれたのであるという尊き自覚である。しかも、この〃聖"の自覚は、自分がひとり尊くして専制君主として立つのではなく、「制を立て」法制を定めるのに、窮屈に杓子定規の制度を設けず、必ず「時に随う」すなわち時代に応じて最も民意を反映した政治を行うと仰せられているのであっで、「苛しくも民に利有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)わん」というのは、民利にかなう政治を行うことは聖徳をもってする天皇政治の妨げには決してならぬ。民利を行うことこそ天皇政治である、と仰せられているのである。君民の利益が一致しているのが、天皇政治下の民主主義なのである。
そこで思い出されるのは、仁徳天皇が当時の日本国民が貧しくなっているのをみそなわせられて、三年間租税を免除し、皇居が朽ちて所々がぼろぼろになって雨漏りしても、それを補修し給うことさえ遠慮せられて、三年目に高殿に登り給うて眼下に街(まち)を見渡されると、国民の経済状態は復興して、炊煙濠々(すいえんもうもう)とたち騰(のぼ)って殷富(いんふう)の有様を示しているので、皇后さまを顧みて、「朕は富めり」と仰せられた。そして、
高き屋にのぼりて見れば煙たつ 民の窯(かまど)賑ひにけり
というお歌をお詠みになったというのである。天皇は、自已が貧しくとも、国民が裕かであれば、「朕は富めり」であらせられる。これが天皇政治の中に生きている民主主義なのである。これを民主政治下の代議士が、汚職をもって自分を富ませながら、そして自己の貰う歳費の値上げを全員一致で議決しながら、国民のたべる米の価格や、国民の足である交通料金その他の公共料金の値上げに賛成するのと比較してみるならば、いわゆる現代の民主政治は一種の特権階級政治であり、天皇政治こそかえって民主政治であることがわかるのである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」
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