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国家に統一意思はなく内戦を孕む民主政治
(何故憲法を改正しなければならないか)
占領軍が上陸して来て日本弱体化の政策を遂行するにあたって、第一に行なったことは、日本国家を「生きている生命体」で置くときは、日本は復活するに相違ないというので、生命体の中枢と部分とのつながりを断絶することにしたのである。つまり心臓は心臓だけの中枢で動けばよいのであって、生命の中枢が部分を支配する権限を奪ってしまったことである。
大学を例にとってみても、大学は自治であって、警察力はその中に介入することはできない、国家財産である東大の校舎がどんなにあらされても、国家はそれに介入することができない。国家は犬学の費用を出すだけであって、その大学内で、「革命」即ち「国家をつぶす学」の研究や教授が行なわれていても、その学の内容に干渉することはできない。こうして国家は一個の生命体ではなく、目的を異にするバラバラの団体が群居している聚落(しゅうらく)にすぎないことになってしまっているのが日本国の現状である。
民主主義政体というものは、それは国民各自の福利のための組合であるから、国家を形成するすべての階級、団体及び個人の利害が一致する時にのみ平和であるけれども、もしその利害が衝突することになれば、国内は分裂して内戦にまで発展する危険があり、日本の現状は今やその徴侯を孕んでいるのである。
個性ある伝統を剥奪された国はすでに植民地である
すべての高級な生命体には個性があるのである。生命の個性ある顕現の歴史的文化的発展がいわゆる伝統というものであって、単なる民族の習慣とか〃しきたり"とかいうものではないのである。
国家は生命体であるから、歴史を通じてその個性ある表現をつづける。その伝統を破壊することは国家という生命体の個性を破壊されるということになる。国家とその文化とが個性を剥奪されて、外国のそれを押し付けられたとき、その国家は仮りに独立国の体面を保っているにしても、その国の内容は植民地であり、その国の文化は植民地文化となったのである。
その国の文化の中には、その国独得の政治形態が含まれていること無論である。政治形態を占領軍に押しつけられた時、日本はアメリカの殖民地になったのである。それが今もなおつづいているのが日本の現体制民主政治であるのである。私は反体制であるというのは、そういう意味においてである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2012年12月23日
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