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人体は個性生命の創作 
 
 
 
さて、他の人の臓器等を移植した場合、拒絶反応をなぜ人体は起すのであろうか。それは人体というものは、単なる部分品の縫合ではなくて、その人の個性ある生命(「魂」といってもいい)の創作であるからである。それは唯物論者に理解できぬかも知れぬが、「生命」が他の体に宿るとき、その細胞にも、臓器の形成にも自分の個性ある「生命」の創作力が加わって、自分独特の個性ある烙印(らくいん)を細胞にも臓器にも押捺(おうなつ)するのである。それゆえに、血液型研究の世界的権威である古畑教授の説く如く、すべての人間の血液型は詳しく言えぱ、独得の個性ある血液型をもっているのである。
 
 
人体は決して“部分”の寄せ集めではなく、その人の「生命」が創作した個性的作品であり、芸術品である。このことがわかれば、他人の臓器をもって来てつなぎ合わすが如きことは、レンブラントの絵の一部がこわれたから、ミレーの絵の一部をもって来てつなぎ合わすにも似たところの愚挙であり、暴挙であるといわなければならないのである。そんな暴挙をされたとき、その絵の作者は、それに素直に廿んじているわけには行かないで、拒絶するほか仕方がないはずである。これが拒絶反応の正体なのである。
 
 
人体を、「個性生命」によって創作されたる個性的作品と見るとき、臓器の移植が不合理であることは火をみるよりも明らかであるのである。では、眼の角膜の移檀手術などに成功する例があるのはなぜであろうか。それは生命体の主体を形成する部分品ではないからである。最も生命体の主体を形成する部分たる大脳は、どんなに外科医術が進歩しようとも自分の大脳が駄目になったからとて、自動車事故で心臓を打撲して死亡した人の健全なる大脳を移檀することはできない。また、それができたにしても、もうすでに大脳を移植されたる「後の人」は「前の人」でなくなるから、それを強行した場合には、そんなことを本人が許すはずはないのである。さらに整形手術が上手になって、顔の皮膚や筋肉をスッかリそのまま移植してそれを生かしておくことが、たとえできるようになっても、誰もそんなことは拒絶して、やりたがらないであろう。なぜなら、顔はその人の"個性生命。が最も完全に個性的表現をなす場であるから、それを他の人の顔ととりかえたら、自分が自分でなくなるからである。しかし、眼の角膜をとりかえても、自分の個性的表現を完全に行うための邪魔にはならないし、盲目でいるよりも角膜をとりかえて眼が見えるようになった方が、その人の魂は、一層自己の個性的表現活動を自由に行うことができるようになるから、あえて、その人の「生命」は角膜移檀には拒絶反応を起さないのである。
 
 
谷口雅春著 「私の日本憲法論」
 
 

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