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未来を信ずる奴はダメ
しかしきみ、革命っていうのは"今日〃よりも〃明日〃を優先させる考え方だろう。ぼくは未来とか明日とかいう考え、みんなきらいなんだ。高見順が一生フラフラしちゃったのはなぜか。未来を信じたからだよ。
彼に『過程的』という小説がある。来たるべき未来杜会のために自分は捨石になるんだ、自分個人の成熟なんて問題じゃない、自分の中の集合的無意識に積み重ねられてきた"文化"の集積自体にも意味はない、それを革命の“道具"として使ってこそ意味がある、要するに自分も、自分の中の”文化”も革命の“道具"であり、未来へのプロセスとして存在するんだ……というんだね。
未来社会を信ずる奴は、みんな一つの考えに陥る。未来のためなら現在の成熟は犠牲にしたっていい、いや、むしろそれが正義だ、という考えだ。高見順はそこで一生フラフラしちゃった。
未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが"文化“の本当の形で、そこにしか"文化”の最終的な形はないと思う。
小説家にとっては今日書く一行が、テメヱの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中の集合的無意識に連綿と続いてきた“文化"が体を通してあらわれ、定着する。その一行に自分が"成就”する。それが〃創造〃というものの、本当の意味だよ。未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。
三島のいうことには未来のイメージがないなんていわれる。バカいえ、未来はオレに関係なくつくられてゆくさ、オレは未来のために生きてんじゃねエ、オレのために生き、オレの誇りのために生きてる。
言論の自由とか、自由の問題はこの一点にしかない。未来の自由のためにいま暴カを使うとか、未来の自由のためにいま不自由を忍ぶなんていうのは、ぼくは認めない。「欲しがりません勝つまでは」などという言葉には、とうの昔に懲りたはずじゃないか。
三島由紀夫著 「若きサムライのために」
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2012年09月13日
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