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ムード的な国民的合意が
三島 ちょっと話は違いますが、安保条約について、これから一九七〇年に向ってポスト・ベトナムの情勢下にどういうふうな受け取られ方をするだろうかということを私ども心配しておりますけれども、私は安保条約に対する信頼度というのは落ちると思いますね、どうしても。そして安保条約の信頼度が落ちたところでナショナリズムは非常に国民全体の意識をおおってくると思うんです。そのナシヨナリズムをいろいろ分析しますと、三派全学連も一種のナショナリズム、米軍基地反対、それから極右のナシヨナリズム、これもだんだん保守的ナシヨナリズムが強くなるでしょう。それからいろんな形のナショナリズムが日本中をおおうようになると思いますね。そのときにある意味では安保というものに対する信頼度が落ちたところで、変な国民的合意ができてしまうんじゃないかと私は考えるんです。それは必ずしもはっきりした国民的合意じゃないにしても、ムードとして。
その場合自民党に期待することは、自主独立の問題以前の問題ですね。政治的な処理を自民党に私どもは期待するんです。なぜかともうしますと、はっきりいえば、自民党は安保体制というものにおいて反安保体制と刺しちがえる覚悟でやっていただかなきゃならない。それが自民党の歴史的役割じゃないかとぽくは考えるんです。そして最後の国民の自主独立の防衛ということは憲法を変えなければどうにもなりませんから、それはその先の問題として、現実に自民党がやらなばならない一番の歴史的な任務としては、それが最上の理想的な政治ではありませんが、安保体制において刺しちがえるというくらいの覚悟を持っていただかないとだめなんじゃないかと思います。
福田 それはもう、もちろんですね。
三島 それによって滅びてもしかたがない。その先に何か光があると…。
福田 私は安保論争というものはもうすでに本番に来ているという認識をしているんです。一九七〇年、再来年になって初めてこつ然として安保問題というものが出てくるわけではないんで、もうすでに火花を散らしていると思うんです。安保間題の処理のしかたについては固定延長論とかいろいろありますが、かりに固定延長論ということになると、条約改定になるんですね。そうするとアメリカの議会にかかる。私は、日本の国会もさることながら、アメリカの議会もそう簡単なものじゃなかろうと思います。つまりいまの安保条約は、日本にきわめて有利ですね。アメリカ人は日本人のために金を使い、血を流す、こういうことでしょう。日本は基地は提供するが、ほかに何らの義務を負わない。こんなありがたい条約はないわけで、逆にアメリカから見ればこんな損な条約はないんですから。そこで双務的なものにすべしという議論がかなり出てくる可能性がある。
三島 出てくると思いますね。
福田 アメリヵの議会はぞうやすやすとこの条約改定を承認しないという事態も考えておかなければならないと思いますね。そういうことからいえば、自動延長論というものも有力に出てくる可能性があると思います。そうなれば議会では問題にならないわけですよ。私はことしか来年の上半期あたりが勝負どころじゃないかと思っています。
三島 そうですね、おそらく一九七〇年の前に来ますね。
福田 問題は、そういう論争を通じて、国の守りについてわれわれ一人一人が責任を持つんだということ。しかし、それだけでは十分ではない。特に核時代になると、核戦争にでもなったらこれはもうたいへんなことになる。核攻撃に対する抑止カという問題、つまり私はよくいうんですが、「兵は用いざるをもって上善となす」。核時代に昔の古いそんなことばが一番よく当てはまると思うんですが、その抑止カは日本では当分の間持てない。この大事な侵略に対する抑止力をアメリカに依存する。安保条約はほんとうに自分で自分の国は守るという考えをとれば当然の帰結になってくるんじゃないかと思うんですがね。お話のとおり、これは自由民主党は生命をかけてこれをやり遂げなければならないと……。
三島由紀夫著 「若きサムライのために」
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2012年09月25日
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