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二派に分れる新帰朝者
昭和44年
こんなに二六時中、満員のジェット機が羽田から発着している世の中に、「新帰朝者」などという明治風の言葉が、もう通用しないだろうと思うと、そうでもなさそうである。
数ヵ月外国へ行ってきただけで、人格が一変してしまう人もかなり多い。それも当然で、いくら映画やテレビで見馴れた景色でも、実際に見たシヨックは大きいのである。私もはじめてニューヨークヘ行って、摩天楼群を見たときは、「こんな国を相手にして、よくも思い切って戦争をやったもんだなア」とまず感心し、戦前の軍人がみんなニューヨークを見ていたとしたら、それでも戦争を仕かける気になったかどうか疑問に思ったものである。
イタリアみたいな、あんまり金持でない国へ一年ほど行っていた男でも、爾来「日本は貧しい」という固定観念のとりこになり、いくら数字を挙げて南イタリアの貧困と杜会の遅れを主張しても、決して耳を籍さず、「日本はもっと貧しい」と言いつづけているのがいる。
ところが数年前の経済的好況のころから、「日本は貧しい派」が、だんだんと「やっぱり日本は大したもんだ派」に、圧倒されるようになってきた。新帰朝者の気分が、そういう風に変ってくると、世論全体に波及してくる傾向がある。
大体、ものごとの比較は多少とも競争の可能性のあるところから行なわれるのであって、2DKのアパート住まいの人間が、建坪二百坪というような超モダンの大邸宅へ行ってみても、デパートやホテルヘ行ったのと同じことで、大きいのが当り前、別にわが家と比較する気も起きないばかりか手をのばせば何にでもとどくわが家のほうが万事快適だと思うだけである。
明治時代の新帰朝者はそんな心境だったろうし、プライドもっぱら非物質的なもの、日本人および日本文化の精神的価値に置いていた。しかし目にみえないものはなかなか理解されないから、目に見える部分は文明開化を装い忠実に西洋をコピーしていた。かくてわれわれは、洋服を着はじめてから三代乃至四代を閲(けみ)しているのである。
そのうちに、文明開化は心の中にまで滲透してきて、日本文化の精神的価値さえ見失われ、西洋の魂をわが魂としようとする埋没組みが、インテリ新帰朝者の大半を占めた。語学も発達し、日本にいて西洋文化を研究する便宜も大いに増し、その結果、日本の古典などろくすっぽ読んだこともない大インテリが、日本のオピニオン・リーダーになったのである。
戦争がすんで、経済的に復興して、実に明治以来はじめて、国内生産物の豊富な国内消費をゆるす経済体制が確立すると、うまい具合に、これがヨーロッパのアメリカ化時代、経済的覇権の喪失時代と時を同じゅうしたので、西洋へゆく日本人は、自分たちの生活との間に、だんだん・おそろしいほどの経済的較差を感じなくなった。
第一、汲取便所と水洗便所では比較の仕様がないが、都市部で水洗便所の家がめずらしくなくなってくると、便所一つでも、比較の目安がついてくる。
次に台所の近代化によって、台所もこの比較の目安に加わる。ヨーロツパの文化的遺物には、とてもかなわないが、あれはかれらの裕福な祖先が建てたもので、石造だからいつまでも残っているだけのこと、現在只今のヨーロッパ人の能力、経済力は、われわれとそんなに変らない気がしてくる。
これが最初の無邪気な「日本も大したもんだ派」の発想の根拠である。そしてこれは、明治人の新帰朝者には、全然ありえない発想であって、この派の連中の頭には、日本人の精神的価値とは、ここまでもって来た勤勉精神だけしか勘定に入っていない。
これに反して、「日本はまだ貧しい派」の新帰朝者は、ヨーロッパやアメリカの社会保障や個人蓄積から割り出して、日本の貧困を指摘し、日本文化の特質もみんなこの貧しさから説明して、おしまいには、AA諸国並みの社会主義革命でも起さなければ、日本は決して本当の金持になれないと指摘する。
そして、この二派に共通するのが、私の、「お茶漬ナショナリズム」と呼ぶところのものである。
三島由紀夫著 「若きサムライのために」
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